本日は12月1日と言う事で非常なる思いがある日です
平成9年1日の出来事です。
この年は本部施設本館の施設建設に伴う補助金の内示を頂き、その後社会福祉法人杉和会の認可をその当時の岐阜県知事から7月17日付けで頂き、その認可で初めて所謂『人格ある組織』になった事を受けて8月8日(末広がりの縁起も込めて)に入札を実施させて頂き、大日本土木に工事発注する事になり、11月末にようやく骨格の柱が立ち、生コンで下打ちが出来てはきたものの未だ屋根が無い状態の中で、いきなり12月1日に優に40cmの雪が降ったのです。
私はその当時44歳でしたがこれだけの雪が降った記憶に無いくらいの積雪に(1月、2月には降りますが)私自身も驚きましたが、それ以上に驚かれたのが建設の責任者である総監督でした。
朝現場に行くと監督から「この辺では12月でもこんなに降るのですか」と雪が降ったのが私の責任の様な聞き方だったので、私は「私もあまり経験がありませんが、今回の補助金は単年度事業なので来年の3月を目途に完成させて貰わないといけないですよ」と言うと監督が「分かってはいますが、今後も降りますか」と言われたので「いくら私が地元の人間でも雪の状況までは分かりません。」と答えました。
そんな会話の後の動きは「流石に大手のゼネコンだ」と思う動きをされました。それは大型の温風ヒーターを20台くらいレンタルされ、6時間毎に給油をしなければいけないと言う事で給油当番を決めて泊まり込み体制を組まれました。
また、ガッツのある助監督は夜も徹して重機を操作して雪の除去をされました。
その日を境にして職人さんの数を倍増されての体制が取られました。
12月1日にいきなり降ったのですが、その後の積雪は大したことが無かったので翌年の3月30日には岐阜県による立会もあり色んな設備も入り、駐車場の整備もされて5月15日に無事に竣工式典が出来ました。
『もしも』と言う事はありませんが「平成9年の本日に40cmの降雪が無かったら」と思うと考え深いものがあります。
その後はそれぞれの造作が出来てからは設計管理の設計士と監督を伴って図面を持ちながらの日々であったのもしっかりと記憶にあります。
初めての入札日が『8月8日の末広がり』だったのと、職員の頑張りと地域の方々の理解もあり、平成16年には本部施設新館を、平成26年には和合の施設を令和3年には盲養護老人ホーム和(なごみ)の展開をするまでになりました。
12月1日と言う日に走馬灯の様に思い出しているのですが決して順風満帆ではなくて色んな事を乗り越えての今だと思うのでこれからも地域の為にご縁を頂いた入居者さん、利用者さんとその家族の皆さんにも変わらない笑顔でいて頂く為にこれからも頑張って行きますのでこれからも宜しくお願い致します。