2025年04月の記事一覧

岐阜新聞の記事から

令和7年4月2日

本日の朝刊1面に『昭和は「活気と人情」 県民、60歳以上には「古き良き時代」』との見出しを見つけ、自他ともに『昭和おじさん』の私としては興味を持って記事を読ませて頂きました。その中で【特に、昭和期を長く過ごした戦前から昭和30年代生まれ(60歳以上)の世代では、「貧乏なのに心豊かだった」「隣近所と『みそ貸してお米貸して』の付き合いがあった」など、人情にまつわるエピソードがたくさん寄せられた。人間関係が薄れつつある令和の今、濃密な関係を懐かしく思うのかもしれない。さらには「給料は現金でもらえたので給料日はみんなウキウキしていた」「新しい時代への希望があった」など、今にはない社会の活力を感じさせるコメントも並んだ。

ただ、「セクハラ当然の時代」「男尊女卑」といった当時の価値観に対する憤りも多かった。一方で、子供の頃に昭和が終わり、主に平成を生きてきた昭和50~60年代生まれの世代になると、パワハラや根性論、社畜といったネガティブな言葉も表れた。「疲れ切った大人たち」「今と違って、何も気にせず自由に発言できた時代」「昭和は熱いのがかっこいいといたが、平成以降はダサいに変わった」。

現在30~40代と働き盛りの世代でもあり、比較してしまうのかもしれない。その反面、「働けば働くほど給料が増えた良い時代」「頑張った人が認められた」「パソコンなどもない中で創り出してきたのがすごい」など右肩上がりだった社会をうらやむような声も聞かれた】この記事を読んでいく中で「うんうん」と頷いて納得する事が多くありましたが、私が職員採用時や施設の全体会等で「頑張れば頑張った様な処遇をしていく」と言っているのは『昭和おじさん』故のことなのか。

でも「当然と考えているのは古い考え方で時代にそぐわないのか」と思うと「仮に私の考え方を軌道修正していくとしたらどの様に組織を活性化していくのはむずかしいな~。」と思いつつ「昭和的な考え方で何が悪い」と思っている私がいます。「だ、か、ら、是は是、非は非でやっていく中で背中で見せていくしかないな」と思っている私です。

だからこそ私は『昭和おじさん』なんでしょうね・・・。リピーターの皆さん、こんな私をどう思われますか。

朝のお参りを再開しました

私の性格が元々『軟弱』なので、何らかの理由で歩けなかった時があり、そのまま冬のシーズンに入ってしまいズルズルとお参りが出来なくなっていたのですが、本日から令和7年度は始まると言う事で昨夜に『固い決意』をして今朝は午前5時40分のアラームで速やかに行動開始。

ところが久しぶりと言う事で一先ずリュックサックに入っているペットボトル7本に水を入れようとしたところペットボトルに水が入ったままのものが4本もあり「古い水では申し訳ない」と言う事でペットボトルの水を捨てる事から始めて7本全部に水を入れリュックサックに収めてから玄関先でウォーキングシューズを履いてから金剛杖を持って玄関を出ようと思って「いけない、お賽銭を持っていない。」と言う事で小銭をストックしている入れ物の所まで行き、1円玉1個、5円玉1個、10円玉5個、50円玉1個のお賽銭と100円玉2個(護摩木代)をズボンのポケットに入れて家を出たのが6時5分と言う事で「久しぶりだと手際が悪いな」と思いながら出発しました。

6時を過ぎているので既に明るくて歩くのには丁度良かったのですが、金剛杖を持っている右手が冷たくて「まだまだ寒いな」と思いながらも「これまた修行」と歩いて行き、妙応寺の駐車場の奥にある『幸福地蔵様』の前で「久しぶりでごめんなさい。私がお参りしないと前掛けが曲がったままですね。しっかり直させて貰ってから久しぶりに抱きつかせて下さい。」と言ってお賽銭を入れてから「南無幸福地蔵様」と言いながら抱きしめさせて貰いました。幸福地蔵様でのお参りを終えて妙応寺の本堂でお賽銭を入れて護摩木代200円もお賽銭箱に入れてから護摩木の表に『心願成就 今須門前 若山宏』と書き、裏には『令和7年度杉和会の益々の繁栄を』と書かせて頂いてから書いてある護摩木の所に収めてから、般若心経を中心にしたお経を唱え、今須稲荷、常在不滅之塔、吉川家のお墓、六地蔵様と順次お参りしていったのですが湯飲みが汚れたままであったり、六地蔵様の線香の残りを入れる器の中に入っているのが散らかっていたりと言う事でしっかり時間がかかってしまいました。

最後に若山家のお墓に行き、春分の日には花を持って行きましたが朝のお参りは久しぶりだったことを詫びると共に毎日行きますと誓ってから家に帰ってきました。再出発になった日が新年度の初日であった事で今年度には色んな意味で良い展開が待っていると確信しましたのでリピーターの皆さん、これからの杉和会の動きにも注目して頂けると嬉しいです。