2024年03月の記事一覧

赤ちゃんのパフォーマンスには参りました

赤ちゃんのパフォーマンスには参りました

 

午前10時から優・悠・邑 和合で色んな趣向を取り入れて歌や踊りをして下さるのです。そのボランティアは『てるてる座』と言って本部施設では20年近くも来て頂いているのですが、準備の都合もあり、9時20分には来て下さったのですが、その中に座長の娘さんとその子ども(座長にとっては孫)も来て下さったのです。私が玄関を入って行くと丁度1歳になる座長のお孫さんは長くて広い廊下を好きなようにハイハイしているのです。私はその姿を見ただけでメロメロになってしまいました。入居者さんが一堂に集まって楽しんで貰う為に2階の会場で実施して貰うので、私も2階に行くと入居者さんは集まってみえて座長のお孫さんはハイハイしては座り込んで両手を挙げたりするのが可愛くて思わず見とれてしまいました。賑やかな催しが始まっても赤ちゃんは全く動じる事も無く、座長がおんぶして会場に出てきた時もなく事も無く座員としての役割をこなしてくれています。座長の娘さんが歌に合わせてフラダンスを踊って貰っている間も大人しく見ているのには感心するのを通り越して感動でした。

全ての催しを終えて着替えをして貰ってから1階の理事長室で飲み物やお菓子を頂いて貰ったのですが、座長の娘さんの膝に乗っていたのですが、ビニール袋に包まれた煎餅を座長がお孫さんに渡していたのですがどの様に袋を開けたのかは定かでないですが、袋に入った煎餅にかぶりついているのです。下の歯2本がビーバーの様に生えていて、娘さんが煎餅ではなくて玉子ボーロ―を口に入れられるといつもは食べているはずの玉子ボーロを吐き出してしまい、煎餅を食べようとするのが可愛くて愛おしくてたまらなかったです。まだ1歳ですから玉子ボーロの様な薄味のものを食べるのが自然なんでしょうが、人間は味の濃いものを好む傾向があるのだと思います。でも早かったかな・・・。煎餅の様なものに目覚めさせるのは。でも1歳くらいの赤ちゃんの仕草は何をしても可愛いものだとしみじみ思いました。

飲み物やお菓子を食べて貰いながらの談笑の時間を終えて玄関先でお見送りをする為に玄関先にいたら、座長の娘さんが「抱っこして下さいますか。」と言うので「喜んで」とばかりに手を差し伸べると赤ちゃんは私の腕の中で大人しくしていてくれたので益々愛おしくなっている時に座長から「知らない人に抱かれると直ぐに泣くのに理事長さんは大丈夫なのは不思議です。」といわれたので益々嬉しくなりました。そして、座長から「大きくなった時に理事長さんに抱っこして貰ったと話が出来ますね。」と言われたのは本当に幸せな時間になりました。

リピーターの皆さん、一生懸命な毎日の中でのご褒美だと思うのですが・・・。

週刊現代の没後40年の有吉佐和子さんの特集から

令和6年3月10日

【1931年生まれで、25歳の時に芥川賞候補となった『地唄』で文壇デビュー。「才女」と注目を浴びてテレビ出演など慌ただしい日々を送ったが、母親から「あなたが何を書いたというのか」と叱られて一念発起。作家として本腰を入れるために、自らの家系をモデルにした『紀ノ川』を発表。これが出世作となり、作家としての地位を確立していく。】との紹介があったのですが、私は最後のページに自筆で書かれた文章が凄く気になった言葉であったので紹介すると共に、私の考え方を書く事にします。

〈けわしい道と知らずに歩き出し、けわしい道と知っても歩き続ける。それが多分、人生なのだろう。〉有吉佐和子さんは作家として生きていく事を最初から志されたのでは無かったのだと思います。極端な書き方をするなら「何となく書けた作品が芥川賞候補となり、「若き女流作家」ともてはやされていたのを母親から戒められてから腹を括って作家の道を全うされたのだと思います。人生にはどこかで有頂天になり、そこから抜け出せないでいる方も多いと思うのですが(私にも心当たりがあります。)有吉佐和子さんには素敵な母親の存在があり、そこで覚悟を決めて全うされたのは素晴らしいと思います。人生には何度か分岐点があるのだと思います。そんな中で大きな柱からズレ無いで走り続ける人生はなかなかないのではないでしょうか。

そう言う意味では、私も色んな意味で分岐点がありましたが、その都度支援して下さる方や助言をして下さる方がみえて、今の事業を全う出来ているのだと思います。そして、自分がやって来た事を信じて頑張って行く事が肝要だとも思っています。

本日は和合で午前中は3階でお参りを、午後は1階でカラオケをさせて頂いたのですが、回数を重ねる毎に温かく迎えて下さるので有難いと思っています。それぞれの職員が自分の特技や趣味を生かしてアクションを起こしていく事によって『集団のダイナミックス』が起きる。それは、文字通り『多職種連携』『他職種連携』と言う事だと思います。これからも自分を信じて頑張って行きますのでリピーターの皆さん、よろしくお願いいたします。

一つひとつ

令和6年3月9日

本日もスマホの話からです。正直私はスマホの操作は出来ないので私のスマホを預けて職員に簡単に出来る様にして貰っていて、昨日からメールの着信の確認が出来る様になりました。返信メールについては、たまたま出来たり出来なかったりなので自信を持って出来るまでには至っていません。携帯の着信についてはまだまだ焦って取る為か上手くつながらなくて掛け直しているのが現実です。但し、こちらから掛ける事は少し自信を持って出来る様になってきました。

中途半端にスマホをなぶっているためか、アラームのセットを8時30分にしたのを解除できず、それどころかアラームが鳴っても止める事すら出来ません。「スマホは便利なもの」のはずですから今後、スケジュール管理やコラムの送信も出来る様にして、かっこよく情報を手に入れる様にもなりたいです。私のスマホの操作も日進月歩で出来る様に努力していき決して『昭和おじさん』と揶揄されない様にしたいと考えています。

カウントダウンの様な気温の下がり方に感動です。

午前中に和合の2階でお参りを終えて、管内のトイレの排水が悪いと言う事で道具を持って確認に行くと、何とか流れる様になったのでその後、本部施設に移動しました。和合の施設では温かくてジャンバーを脱いでいたのです。

そして車に乗った時は温かくて車内の温度を確認すると『8℃』だったので、思わずエアコンの温度設定を『19℃』にして運転していたのです。そして、垂井地内に入ると雪がちらついてきて、車内の温度が下がってきたように感じたので車内の温度計を見ると『5℃』に下がっていたので「雪がちらついているから仕方がないな。」と思いつつ西に向けて更に進んでいくと見事に4℃』『3℃』『2℃』『1℃』と気温がまるでカウントダウンする様に下がって行き、今須地内に入ると『0℃』になったのには思わず絶句です。

今は13時40分で本部施設の事務所の窓越しに外を見ると吹雪で、公用車の上には雪が積もっています。和合と本部では道路上の距離は23キロなのですが気温の差がこれほどにあるとすると、『住めば都』とは言え、愕然としてしまいます。リピーターの皆さんはこの現象をどの様に思われますか。

和合1階のお参りで初めての四国遍路でのお話をしました。

午前10時30分から和合1階の入居者さん・利用者さんとでお参りをしました。最初に正信偈を唱えさせて頂いたのですが大垣エリアは東本願寺(一般的に「お東」と言います。)門徒が多いのか私のお経にしっかりついてきて下さいました。と言うより助けて貰っています。御文さんも一緒に多くの方が大きな声であげて唱えて下さいます。

そんな中で、本日発見した事があります。それは、私がカラオケに入った時にはいつも眠そうにされている入居者さんがおみえになるのですがお経の時には数珠をしっかり手に持ちしっかりと口が動いているのです。しかも姿勢もシャンとされているのです。その姿を見た時にその入居者さんから「カラオケは興味がないけどお経は頑張るよ。」と言う事です。つまり、『人それぞれに興味がある事は違う。』と言う事を教えて頂きました。十人が十人興味を持って貰う事など無理ですから、興味のない方のフォローは他の職員(今は実習生のいます。)にして貰えればと思っています。

正信偈と御文さんのあと四国遍路で覚えた般若心経を中心にしたお経を唱えさせて貰うのですが本日は何故か四国遍路に初めて参加させて貰った時の事を思い出しながらお経を唱えていたので、お経さんを終えた後の話は初めての四国遍路であった事をお話しました。ひょっとしたらかつてのコラムで書いた事かも知れませんが本日お話をした事としてこのコラムで書かせて頂きます。

それは53年前の出来事です。私が高校2年生の夏休みに生母秋江のお姉さんの旦那さん、つまり伯父さんに当たる熊の様にガタイが大きい鉄砲打ちの方が先達での団体にご一緒させて頂いた時に船底で四国に渡り高徳線で夜中に『坂東』と言う小さな駅で降りて、60人程度の団体ですので青年会の方が点呼をしている時に先達である伯父さんに呼ばれて「団体の最後尾を歩け」と言われたので、何の事かはわからないままに先達の伯父さんの指示に従う事にしました。歩き出して暫くして分かったのですが、小学生から77歳の女性までの60人からの団体ですから団体のペースで歩ける方ばかりではないわけです。事実30分も歩くと77歳の女性が少しずつ遅れられました。当然の事ながら私は最後尾を歩く様に伯父さんに言われているのでその女性と一緒に歩く事になるのですが・・・。まさかその女性をおんぶして本体に追いつくわけにも行かず、一緒に歩きながら「どうしたら少しでも楽に歩けるか」と言う事を考えながら歩いていて「女性が背中に背負っているリュックサックを私が持てば少しは楽になるのでは」と思い女性に声を掛けると「そんな勿体ない事は出来ません。」と2度は断られたのですが3度目にリュックサックを渡しに委ねて下さいました。その時に学んだのは「高齢者の方の中には遠慮される方がある。」と言う事です。

その時の教えは今、特別養護老人ホームで仕事をさせて頂いている中で役に立っています。四国遍路では多くの学びがありましたので機会があればまた書く事にします。

政治評論家の寺島実郎氏の講演会に参加しました。

政治評論家の寺島実郎氏の講演会に参加しました。

 

会場が参加者で一杯だったので(多分500名は参加されていたと思います。)「流石に著名人で期待度が高いな」と思った次第です。講演内容についての正直な感想は「期待以上だった」と言う事で、為になった事で特にインパクトが高かった事について以下に述べていきたいと思います。

寺島先生の話の内容は数字に基づいているので分かり易いと思いました。その中で特に感じたのは「経済の面でも日本は危機的な状況にある事が一目瞭然にわかる資料がありました。1つに『2022年世界港湾ランキングで1位が上海、2位がシンガポール、3位が寧波(ねいは)、4位が深セン、5位が青島(ちんたお)、6位が広州(こうしゅう)、7位が釜山(ぷさん)、8位が天津(てんしん)、9位が香港、10位がロッテルダムと言う事でベスト10位に日本は入ってなくて、ようやく46位に東京、以下の順位で70位に横浜、72位に神戸、78位に名古屋、82位に大阪です。ところが1980年の統計では1位がニューヨークで、4位に神戸が、13位に横浜、18位に東京、39位に大阪、46位に名古屋と言う事なので日本のバブル期とは比べようがない位の落ち込みである事がわかります。そして、中国と米国は仲が悪いと言われていますが2023年の実績においても日米の倍以上の貿易額です。また、日中を結ぶ航路には津軽海峡の方が2日は短くなると言う事で使われていると言う事実を知る事が出来ました。日本には『海賊』と言われる存在は無くて安全航路です。この事実を私も含めて日本国民は知るべきだと思います。

2つ目には食料自給率の推移で日本の場合は1965年で73%、1980年で53%、2020年に至っては38%です。G7の中で2020年においてアメリカでは115%、カナダは221%、ドイツは84%、フランスは117%、イタリアは58%、イギリスは54%と言う事で、どちらにしても、食料を外国に頼っていて多くの田圃が耕作放棄地になっているミスマッチは無くしていかなければいけないと強く思っています。

悲観ばかりでは無かったです。今年1月2日に日航機が炎上した事故がありましたが、一人の死傷者も出さなかったのは、搭乗員の素晴らしい対応ばかりをマスコミは評価していたが、乗員が荷物を持たずに逃げた事は素晴らしい行動だと言われていたのは日本人の誇れるところだとも聞いたので悲観ばかりせずに10年先の未来に光が当たる様になる様にそれぞれが頑張って行かなければいけないとも思いました。

鍵が見つかりました・・・。

令和6年3月6日

一昨日の朝、ジャラジャラとついたいつも持っている鍵がない事に気が付きました。いつもだとポケットかショルダーバッグに入っているのですが無いのです。本部施設の施設長室やボランティア室や事務所の机の中を何度探しても「無いないないない。」のです。和合にも移動して事務所の机の中や理事長室も確認しても無いのです。本部施設の五次副施設長からは、決済印を明日には欲しいと言われていても出てこないのです。その日は家に帰ってからも必死に探してもないのです。いつまで探しても出てこないので眠りについたのですが、午前4時には目が覚めもう一度1階のリビングを中心に探しましたが見つかりません。仕方なく本部施設に行きもう一度探しても無いのです。五次副施設長の決済は待ったなしなので、事務所の職員に迷惑をかけながら探しましたが見つかりません。と言う事で駄目もとでスペアキーがないかと探しました。そうすると、予備を作っておいた分を見つけることが出来て決済は事なきを得ました。

しかし、根本的解決が出来たわけではないので頭の中がモヤモヤのままで、本日は8時30分に和合で職員の面接があり、面接者が私が施設に着くのと同時だったので、面接者と一緒に理事長室に行き面接が終了してから事務所に戻り、何となく事務所の中の私の机の引き出しを開けると「あら不思議」ジャラジャラの鍵があったのです。私は不思議でなりません。間違いなく何度も確認したはずなのに。いやいやそうだけは無くて「ここには無いとの思い込みがあったのか。」それとも、一生懸命に寝ながらも念じていた為に仏様がそっと入れてくれたのか。だって10時30分から3階でのお参りの時には見つかっていたので、しっかりとお経を唱える事が出来ましたので。これでゆっくり眠る事ができます。

岐阜県老施協西濃支部の理事会の後、岐阜支部との合同講演会がありました。

令和6年3月5日

講師の先生はウェルフェア・J・ユナイテッド株式会社の代表取締役社長の本間さんのお話でした。いわゆるコンサルティングをする会社の社長さんなのですが、話の内容は理路整然としていて、尚且つ自信を持っての話し方に共感すると共に私が児童養護施設の全国大会で自信を持って事例発表をしている時と重なりました。但し私の場合は私よりはるかに年上の方が聞いてみえてそれなりの実践をされている方々だったので「何を若造が言っとるか。そんな事を言っているけど何処までが本当の事なんだ。」との言葉が聞こえよがしに聞こえました。でも、私は「実績を示しているのに出来ないと決めつけるのは可笑しい。」と思っていました。流石にその時に声を大にして言う事は出来なかったのですが。

本日の場合は殆どん参加者が施設長さんで経営・運営に関わられている方ばかりで、介護業界の厳しい現実に身を置いている方なので興味深く聞かれていて、講演後の参加者の反応も良かったです。テーマは『報酬改正と今後の特養経営について』と言う事で、「2040年に勝ち残るため、強い経営を行う」との話の中で、『介護保険事業は利益が出る』とのメッセージの中で4つの評価として「1.赤字決算」「2.全国平均」「3.黒字平均」「4.ベストプラクティス」を示され「介護保険事業は、経営すれば、必ず利益が出る仕組みの制度である。経営していない、経営を知らないことが問題」と断言されての内容には自信に満ちたもので説得力があった。

また、『ケアの質が低い』との話しでは、「1.一般職だけでは無く、介護長すら利用者に対する声掛けを実施していない。2.利用者に笑顔が無い。利用者と職員のコミュニケーションがなく、フロア内が静まり返っている。3.食堂には食べかすが落ちていたり、物が出されたままの状態で、清掃・整理が出来ていない。4.ケアの質向上のための勉強の機会もない。」と断言されると「確かにその通りだ。」と思い、不充分な所もあるので施設長として改める所は改めていきたいと思った次第です。

『なぜ、赤字になり、なぜ、黒字になるのか?』とのテーマで『赤字の原因』では「1赤字の原因は、経営者が現場を知らない事が最大の原因。2.2代目、3代目の経営者の多くは、現場経験がない。3.良い医療・良い介護と職員の加配を混同している。4.働かない風土ができてしまうと、もはや歯止めが効かない。5.職員と本気で向き合う勇気と経営に関わる学習が不足している。6.現場のマネジメントから逃げていたら、100年経っても、経営は良くならない。7.現場管理職にマネジメント教育が実施されていない。」との指摘には私自身、まだまだ不十分な事もあるので経営・運営両面で気を引き締めて明日からはより頑張って行きたい。施設の経営が盤石で無ければ職員も入居者さん、利用者さんも快適にはならない事を再認識する事が出来たので素晴らしい講演が聞けた事に感謝です。

 

少しずつ進歩していますが・・・。

令和6年3月4日

今日もスマホの話で恐縮ですが「少しずつの進歩です。」車でのスマホの対応は余裕を持って出来る様になったのですが、スマホの操作で電話をするのに、13時30分からの岐阜県老施協常任理事会までに時間があったのでスマホでかけようとした時にもたもたしていると、それを見かねた事務局の加藤さんが親切に教えて下さるのですが、「ささっと」教えて下さるので申し訳なかったのですが、何度も何度も確認して何とかできる様になりました。全く昭和おじさんは困ったものです。出来る様になってきましたが、後は『習うより慣れよ』だと思います。

今月14日に東京からお客様がみえるので、大垣駅でのお迎えの時間の確認の為にスマホで連絡したのですが、出られなかったのですが15分後に折り返しの連絡を頂き慌てました。どうしてかと言うと、コールがされているのに電話に出る事が出来なかったのです。全くの「とほほ」です。まだまだ、色んな方にご迷惑をかけながらもスマホの操作が頑張って出来る様にします。

と言うのは常任理事会が終了してスマホの話になった時に、中西副会長が「ガラケーの携帯が使えなくなると聞いたので止む無くスマホに変えたのですが、使いだすと滅茶滅茶便利なので手離す事は出来ないし、こんなことならもっと早くスマホに変えておけば良かった。」としみじみ言われた時に思い出したことがあります。

それは平成9年度事業で、本館の計画の為の書類として建設計画と法人設立計画の作成をした時は、書類のひな形岐阜県高齢福祉課から頂いたのを、その当時はワープロで書式を作って数字を入れる時には電卓で計算して打ち込んでいました。当時の書類で按分計算する時は少数点以下3桁までの記入が義務付けられていて「何の為にこんな数字がいるのか」等と思っていました。ワープロですから、罫線も一つ一つ引かなければいけないのですが、27年前と言う事で若かったから出来たのかもわかりませんが、今以上の労力をかけてでも出来ました。

と言う事は『一生懸命さに掛けると言う事か』『能力が劣化しているのか』と嘆いてばかりではいけないので、中西副会長が言う様に「スマホは便利だ」と言える様に頑張ります。リピーターの皆さん昔から言いますよね。「為せば成る」と言う事で・・・。

 

本日もスマホ操作の情けないお話です。

令和6年3月3日

情けない話ですがスマホの操作がなかなか上手く出来ません。実は本日午前1時30分に和合の施設からスマホに連絡がありました。午前1時30分と言う時間での連絡ですから、緊急連絡に違いないので慌てましたが、音量が絞ってあった為にバイブのような状態になっていたのですが、何とかスマホを手にしたのですが結局上手くつながらなかったので私の方から連絡をする事にしたのです。スマホでは上手く操作が出来ず「とほほ」状態だったので家電の子機で和合に連絡を取り、本当に情けない話ですが「慣れないスマホでは上手く取れないといけないので家の電話にかけて下さい。」と夜勤責任者の伊藤課長に指示する体たらく・・・。

今回の連絡は機械の誤作動での対応だったので事なきを得ましたが連絡をしてくれた職員に申し訳ない事をしてしまいました。勿論誤作動についての業者への対応は出来たので午後に修理には来てくれましたので、そのような対応はしっかり出来ますが・・・。「習うより慣れよ」とは言いますが先が思いやられます。本部施設から和合の施設に向かう前に車の中でスマホが使える様に水野係長にセットして貰ったので、今迄と同じ様に電話に出る事もかける事も出来る様になったので、少しストレスが無くなりました。

実は車の中で五次副施設長に連絡をしたのですが五次副施設長は私より1回り若いのですが私と同じ様にスマホの操作に苦戦している様でお互いに何度かかけなおしました。和合でのカラオケを1階で終えてから岩田先生との予算理事会の打ち合わせを終えてから再び本部施設に戻ると水野係長が事務所にいたので「恥ずかしながら」とスマホの画面をシンプルにして貰うと共に操作の仕方をレクチャーして貰うのですが水野係長が簡単にすることを同じ様にしているつもりが出来なくて水野係長からはあきれられてしまわれてまたまた「とほほ」です。いまは「習うより慣れよ」「習うより慣れよ」と呪文の様に唱えながらスマホに振り回されないで出来る様に頑張りたいと思っています。しばらくは「忍忍」ですが昭和おじさんですが「今に見ていろ俺だって」

わざみの会に参加します。

令和6年3月2日

『わざみの会』とは、関ケ原町内にある小中学校のかつての校長先生とPTA会長が年に1度親睦を持つ会です。と言う事で現職の校長先生とPTA会長が世話役になり実施するものです。私は平成8年度~9年度にPTA会長をさせて頂いたご縁で出来る限り参加させて頂いています。

私が現職のPTA会長の時は小学校が3校あり、中学校も2校あったのですが今では小学校も中学校も1校ずつになってしまい寂しい限りです。私がPTA会長だったのは28年前ですが、毎年の様に参加させて頂いていたわざみの会には、私の父進が垂井小学校の校長時代(当時私は高校生)に垂井小学校でばりばり活躍されていた服部先生、大岡先生がいわゆる長老格でおみえになりお話するのも楽しみの一つでした。

(服部先生には大垣女子短大の非常勤講師の時に非常勤講師室でも大変お世話になりました。)コロナ感染症対策の為に久しぶりの開催ですが久しぶりに皆さんにお会い出来るのを楽しみにしています。本日も10時30分から和合でお参りを1階の皆さんとして、本部施設に移動して昼食後は来年度の予算案を固める為に業者との打ち合わせをして、15時30分には家に帰り着替えをして関ケ原駅前の末廣まで送って貰い、会ではお酒を飲む為に家に帰ってからコラムを書くとなるとかなりきついので、いつもよりは量的に少ないですがここまででお許し下さい。

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