2024年03月の記事一覧

[ITO]春休み今須学校カフェに参加してきました

[ITO]春休み今須学校カフェに参加してきました

 

「ITO」(今須地域起こし協力会)は私も卒業した今須小学校・中学校が令和元年廃校になり、「廃校になった学校の活用を何とかしなければいけない。」と言う事で、当法人の理事であり、本部施設の家族会会長の吉田さんが骨を折って下さり出来た組織です。会長は発足当時の今須地区長だった松井厳さんで吉田さんが事務局長さんです。「このままでは今須が駄目になる。」との思いで設立されました。私も今須で事業をしている限り、また吉田さんにも松井さんに大変お世話になっているので、何らかのお手伝いをしなければとの思いでいたのですが、本日は春休みイベントを開催されるとの事で本部施設からポップコーンの提供をすることにしていたので一昨日にアミカ(業務用スーパー)でポップコーンの材料と容器を購入して来ていたので、12時からのスタートだったので11時20分に水野係長を従え本部施設を出発して旧今須小中学校に行きました。

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ポップコーンの準備は水野係長に任せて会場内を見て回り、ついでに旧校舎の中を見て回りました。その中でガラスケースの中に運動会の優勝旗を見つけました。その優勝旗には「令和元年度 赤団」と書いてあったので「この年の運動会が最後だったのか」と思うと改めて寂しさを感じました。

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12時開始と言う事でしたので水野係長は早速ポップコーンの商品作りに取り掛かると甘い匂いが立ち込めて雰囲気が良くなり、臭いに誘われた子どもさんが何人か来たので「お金は要らないから貰って」と言って手渡すと喜んでくれました。大人の方は志を置いて行かれる方もありました。12時になると食券の販売が始まり私はいの一番にチケットを買いました。(カレーライス野菜サラダ付き500円)私が購入するとあっと言う間に長蛇の列になり、松井会長さんに「今須にこんなにたくさんの子どもがいたんですか」と思わず言ってしまいました。

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バザーの品物がなかなか売れない様なので丼とお椀のセットを交わせて頂きました。(2点で1000円)12時30分からはマジックショーがあり引き続き江州音頭が始まったのですが13時30分から本部施設で誕生会があるので施設にかえり、吉田家族会会長がおみえになるのを待っていると、「カレーライスの売れ方が凄かったので家で昼を食べて来た。」と言われたのには「凄い配慮だ」と思った次第です。

今回参加させて頂いて一番思った事は中学生・高校生のボランティアの子が本当に一生懸命動かれていた事です。(勿論、大人のボランティアも多くみえましたが)このエネルギーがある限り今須は大丈夫だと思いますがお祭りの要素だけでは限界があるので、永続的なものの構築を考えて行かなくてはいけないと思っています。リピーターの皆さん良い考えがあれば教えて下さい。

ホームページリニューアルのプレゼンを実施しました

以前からホームページに当法人は力を入れており、全国老人福祉施設協議会のホームページ部門で平成19年度には特選を頂きました。その時のコンセプトは「継続性のある進化するホームページ」を念頭において、業者さんとの協議を重ねて完成させました。その後、平成26年に優・悠・邑 和合の事業開始のタイミングで大幅なリニューアルを行い今回10年ぶりのリニューアルです。

今回のリニューアルの最大のテーマは『人材確保』です。本日のプレゼンではプランが明確になっている業者を指名したいと考えています。「日々進化するホームページ」を継続する為には職員の理解と協力が無ければいけません。その為には旗振り役の理事長である私が率先垂範しなければいけないとの思いで『理事長コラム』を毎日書かせて頂いています。毎日書いている事を根拠として、出来ていない時には間髪入れずに指摘して継続性を担保していく。但し現在の状況は抜けなく継続出来ているので、その状況をクリアしつつ『職員確保』の為に如何に魅力あるホームページとしていくか。その為には給与面の改正もしっかり実施していく事も大切です。

その点については職員幹部からの提案もして貰うと共に社労士の意見も取り入れながら改正案を作成して理事会及び評議員会の承認を得て、来月から施行していきたいし、ホームページやハローワークや高校・専門学校・短大・大学への情報にもしっかり反映させていきたい。人材確保は質と量の両面が確立されて有効なものになり、入居者さんの笑顔につながると信じて頑張っていきたいと考えています。リピーターの皆さん常に前向きで頑張りますので益々の応援宜しくお願い致します。

お参り中に何故か頭に浮かんだこと

令和6年3月29日

午前中に和合の施設の1階で正信偈と御文さんを入居者さんとご一緒に唱えさせて頂いてから、四国遍路で覚えた般若心経を中心にしたお経を腹の底から唱えている時に何の脈絡も無く、38歳で児童養護施設を退職してフリーでのうごめきの中で大学等への非常勤講師や家庭教師の他にフリースクールを地域交流ハウスの一角でさせて貰っていたのですが、フリースクールを展開していた時の30年以上前の事を何故か思い出しましたので、全てのお経を終えてからのお話の中で入居者さんを前にしてお話をさせて頂きました。

その話と言うのは30年以上前の事で、今で言う『ヤングケアラー』の中学1年男子の事を思い出した事を話ししました。どんな話をしたかと言うと【その子の両親は建設現場の日雇いで生計を立てていて、その日の賃金を貰うと夫婦揃ってパチンコに行き閉店の時間までパチンコに講じて、パチンコで儲かった時には優雅な夕食を楽しんでご機嫌になって家に帰ってくるのですが、稼いだお金を全て使ってしまった時には家に帰って中学1年の子が夕食を作ってないと言って怒りだし虐待になることも度々で、しかも、中学1年の子に糖尿病で目が不自由になった祖母の世話をさせていて、祖母の病院の付き添いも中学1年の子させていたので、段々と中学校にも行けなくなり、いわゆる不登校になっていたので中学校と私で協議をして、「学校へ行けなくても私が行っているフリースクールに通えるのであれば、出席扱いにする。」と言う取り決めをして勉強に取り組みました。私は勉強を教えるのですが、それ以外の事は中学1年の子に学ぶ事が多かったし、家庭環境は劣悪な筈なのに決して親の悪口を言わない子で、正直学ぶことが多かった。今でもしっかり記憶にあるのは、その頃から外米の輸入が盛んになった時期で、その子の言う事に感心や感動をしてしまいました。

と言うのは、ある時「先生、タイのお米を食べた事ありますか。」と言うので「食べた事ない。」と言うと「タイ米は安いので食べてるよ。日本の米より長細くて、決して美味しくはないけど、チャーハンにするとそれなりに食べれるよ。」と言うのです。私はその話を聞いて複雑な気持ちになりました。】と話をすると入居者さんは私の拙い話を一生懸命に聞いて下さいました。リピーターの皆さん、こんな話もたまには聞いて下さい。

いよいよ認知症の始まりでしょうか。

令和6年3月28日

本日11時から社会福祉法人経営者協議会の理事会・総会に引き続き講演会が岐阜市内のホテルであるので10時40分に地下の駐車場に車を入れ、3階の会場に行くと車のキーがポケットの中に無くて「キーを入れておいたリュックサックを持っていない。」と言う事に気が付き慌てて車に戻ると車はロックされていなかったのですが、無事にリュックサックはあったので、車のキーだけポケットに入れてロックされるのを確認してから再び会場に行きました。

11時からの理事会を無事に終えて昼食を頂いてからメールや電話の着信の確認をすると「予定は未定であり決定ではない。」と言う状況になりました。と言うのは、理事会が始まる前に経営協の会長(私の前の老施協会長)にご挨拶と共に「本日は烏野先生の講演があるので講演まで参加します。」と言っていたのに和合の施設からのメールを確認して詳しい事を聞く為に連絡して「私が和合に行き対処すべきだ」と判断して総会と講演をキャンセルして和合の施設に向かいました。トラブルのための対応をしていて色んな事が見えてきたので、その対応をして「さてさて、本部に行ってコラムも書きながら書類の整理をしよう。」と思ってリュックサックを方に掛けた時に1本の電話が入りその対応の為に色んな所に電話をしていると、電話を掛けた事により、次々と電話をして、気が付いたら16時30分が過ぎていて「本日のコラムを書くのも遅くなりそうだ。」と急いで本部施設に帰って来ました。

和合でのやり取りが本部施設でも引きつって何本かの電話対応もしなければいけない中で和合の施設から電話があり「これはまた何かあったのか」と緊張しながら受話器をとると「理事長のリュックサックが事務所にありますよ」との内容に「どれだけ忘れ物をしたら良いのか」と自分自身で「いよいよ認知症の始まりなのか」とつぶやくと「理事長は忙しいから仕方がありませんよ」との助け船が入ったのを額面通り受け取って良いのかと悩んでいます。リピーターの皆さんはどう思われますか。ご意見下さい。

久しぶりに青空です

令和6年3月27日

昨日まではどんよりとした雨雲があり、近いところだと傘をさすまでもない位の雨が降り、正直鬱陶しい感じでしたが、朝5時に目覚めて外を見ると綺麗なお月様がまだみることができて、爽やかな一日の予感がありました。

本日は岐阜県庁20階で10時から会議があるのですが、会議終了後に360度のパノラマを見るのが楽しみになりました。10時からの人材の検討会は定刻に始まり、健康福祉部の次長さんの挨拶から始まり、中部学院大の飯尾教授の進行で、最初に事務局側の説明からるる行われました。その後は各委員からの質問や提案をする時間になり、いつもの事なのですが私が一番に話をさせて頂きました。

私の提案は、老人福祉施設協議会で行っている外国人材の確保と質の向上について、岐阜県のサポートのお願いと当法人で実施している事について述べさせて貰いました。私の後に引き続き各委員さんからそれぞれの立場で提案があり、座長の飯尾教授が適確に意見集約をして頂き、それを受けて次長さんが閉会の言葉と共に県として取り組むべき事を話して下さり終了しました。

終了後は次長さんや高齢福祉課長さんらに挨拶をしてから部屋を出て、20階の廊下を一周してパノラマの様に景色を楽しんでは写真に収めました。但しその写真ホームページに掲載する知識が無いので、リピーターの皆さん、掲載は後日と言う事にさせて下さい。全くトホホの話しですみません。

昨日の「今日の優・悠・邑 和合」に掲載されていた事の詳細を書きます。

令和6年3月26日

昨日の中日新聞の文化欄の「俳句コーナー」に入居者さんの作品が特選になった朝の出来事が書いてありました。私は入居者さんが言われる所の『社長さん』の立場で改めて私のコラムで書く事にします。私は朝の職員と入居者さんのやり取りを知らずに13時30分から3階でのカラオケに行きました。昨年8月に和合の施設の所属となってから、出来る限り私が出来る事として『お参り』と『カラオケ』をさせて頂き、少しずつ私がそれぞれのフロアに行くことを楽しみにして頂く方が増えて来ているので、いきなり元気になる歌である、鳥羽一郎さんの「兄弟船」から始めて入居者にも歌って貰いながら、1時間程度楽しんで貰い最後の曲として北島三郎さんの「まつり」を歌って終わった事のご挨拶をしていると、いつもお参りの時に抹茶を振る舞って下さる入居者さんが私に近づいて来て「社長さんに見て貰いたいものがあります。」と言って中日新聞を手渡されたのです。

そこには、俳句コーナーで入居者さん本人が特選になられた句と共に講評が書かれていました。先ずはその句には『食膳に部長の摘みし蕗の薹(ふきのとう)』とあり、講評には『キーワードは「部長」。社長でもなく課長でもなく、ましてや同僚でもない。一句にこの肩書を入れたことで、あれこれと想像のふくらむ不思議な作品となった。

いただいた蕗の薹の食べ方は、天ぷらか、蕗味噌か・・・。これまた想像が広がる。』とあり、3階のフロアに俳句の主人公である部長がいたので、何度も何度もこの句を詠みあげると部長は照れに照れていたのですが俳句を投稿された入居者さんから「部長さんは良く気が付くし良く動いてくれる。」と最大級の誉め言葉を頂いたので私からも「部長は私の元で17年間頑張ってくれているんですよ」と話をすると部長は「そんなに大した事していません」と言ったので「遠慮は5流だぞ」と返しました。

施設の中で入居者さんも職員も弾んでいるのを感じて私もとっても幸せな気分になりましたし、記事をわざわざ見せて頂くと言うのにも感謝です。リピーターの皆さん当施設はこんな施設です。コロナ感染症対策の一段落したので、興味のある方は是非遊びに来て下さい。

今年は咲かないと思っていた紅梅が咲きました。

令和6年3月25日

父進さんが、母秋江さんと結婚してしばらくして(昭和20年代半ばだと思いますが)購入した中古物件の家、私が小学生の時に(何年だったかは覚えていませんが)父進さんが新築した家の時も、私が新築で建てた家の時でも玄関先の庭に植えられている紅梅の木は恐らく樹齢100年近くになり、毎年3月半ばには綺麗な花を咲かせていたのに今年は一向に咲かないので「いよいよ寿命がきたのかな」と思いながら毎日2階の廊下から紅梅の木を眺めていたのです。

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そして本日、満開であっても写真の様に『お情け』程度ではありますが「咲きました」私は改めて「凄い生命力だ。」と思った次第です。私は紅梅の木の気持ちになって考え増した。それは「見てくれて喜んでくれるのであれば少しでも頑張って咲いて喜んで貰いたい。」と言う事ではないかと思っています。猫や犬を家の中で飼っている事により、寿命がどんどん延びていると聞いた事があります。文字通り『思いは通じる』と言う事だと思います。我が家の紅梅の木の太い幹は大きく穴が空いていて木の中から向こうを見る事が出来るのです。

私もこれから何年生きられるかは『神のみぞ知る』と言う事なのですが、生きている限り、人の役に立つ生き方をしていきたいと紅梅が咲いたのを見て改めて思った次第です。改めて古木の紅梅に「ありがとう」と言いたいです。

そして原稿を書きながら紅梅の木の事で思い出した事があります。それは、紅梅の木が古木であったの為に『サルノコシカケ』の立派なのが乾燥してあったのを大学時代にとってもお世話になった先生が癌に侵され先生の奥様から「若山さんの山にサルノコシカケがあったら送って欲しい」との手紙を頂き、宅配で送るより直接お持ちしたいと言う事で藤沢のご自宅に届けて一カ月くらいして奥様から「爪の色が茶色かったのがピンク色になった」との手紙を貰った事がありました。

この話は40年以上前の事ですからやっぱり我が家の紅梅の木は古木の中の古木だとも改めて確信しました。「古木の紅梅の木さん。来年も少しでも良いので花を咲かせて下さい。」リピーターの皆さん私はこんな人間ですがこれからも宜しくお願いします。

昨日、親知らずを抜歯しました。

令和6年3月24日

半年くらい前に、地元の歯医者さんに親知らずに痛みがあったので受診をしたのですが、レントゲンを摂って貰った結果「しっかりとした親知らずで、途中から歯が曲がっているので、口腔外科で抜歯してもらわなければいけないので、紹介状をかきます。」と言われて紹介状を持って大きな病院に行き、改めてレントゲンをとり先生と話しをしていて抜歯をする予約をしたのですが、先生の話に不安を感じ、予約日に気が進まなくて、都合が悪くなったと連絡して痛くなる事も無かったのでそのまま放置していたのですが、和合の施設に往診して下さる先生の息子さんが関東の大学で口腔外科の専門で、たまに帰ってきた時に親知らずの患者さんの治療にあたっていると聞いていたので、先生が和合の施設におみえになった時に話しをすると「今月23日なら、来てもらえばみさせますよ」と言われたのを覚えていて、22日の日に連絡すると「16時に来て貰えば大丈夫です。」と云われたので、昨日行きました。

息子先生が待っていて下さり、直ぐにレントゲンを撮ってもらい抜歯に対するリスクの話を丁寧にして頂きバッジをお願いして、麻酔用のゼリーを塗って貰ってからマスイの注射を丁寧に何ヶ所も打って頂いたのですが正直痛くない。麻酔が効いてくるまでしばらく待ってから抜歯の処置にかかられて、正直1分もかからないで「抜歯出来ました。」と言われて抜歯した歯を見せてもらい「心配していたのに全然大丈夫だった」と言う事です。

本日も多少の違和感がありますが、午前中は和合の施設でお参りをする事が出来ました。お参りが終了してお話が終わったタイミングで入居者さんからお菓子と共に抹茶を出して頂き取っ手も幸せな気分です。

一生懸命頑張っていくと良いこともあるのだと言うお話でした。

 

昨日は岐阜県老人福祉施設協議会の総会がありました。

令和6年3月23日

13時30号から総会が開催されるので、準備の確認もしたかったので13時前に福祉会館2階の大会議室に行くと、事務局が準備を終えて受付で待機されていたので、事務局長と最終打ち合わせをしてしばらくすると参加者の方がみえたので順次挨拶をしていると、来賓の健康福祉部次長がおみえになり、しばらくして高井副会長の進行で総会が始まりました。

最初は、会長である私が開会の挨拶をして、引き続きリモートで全国老人福祉施設協議会大山会長と常任理事の園田先生に来賓として挨拶を頂き!浅井次長にはリアルで挨拶をしていただきました。大山会長の挨拶の中では介護報酬の生々しい話も聞けたので、リモートではありますがお話が聞けたのは良かったです。来賓挨拶の後は清水副会長が議長になり進行していただきました。令和5年度の補正案が承認されてから令和6年度の事業案に移り、最初に会長として指針の説明をさせて貰う中で、組織への思いと方向性について語らせていただきました。

事業案と予算案も無事に承認され、引き続き1月22日からの石川県への災害派遣の報告を3人代表して話して貰いました。3人3様の話でしたが、生々しい話もあったので大変好評でした。その後会場を変更してフォトコンテスト及びロコマークの授賞式を行いました。ショウジョウは会長である私から授与したのですが、ロコマークについては200以上の作品が集まり多くの高校生が出展してくれ、しかも授賞式には保護者や先生にも来て頂いたので賑やかな式典になりました。そんな中、高校生が多く出展してくださり、組織の存在を理解してくれたことは大変良かったと思っています。

自法人の理事会と老人福祉施設協議会の総会が終わり、いよいよ次年度に向けて頑張らなければと思っています。

昨日は3つの会議の対応しました。

それぞれの会議について、しっかりと対応する為に頭の整理をしながら挑みました。

午前中は盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』で入居者さんと一緒にお参りをして(正信偈と般若心経を中心にしたお経を私が導師になって)から、少しお話をさせて頂き+カラオケで『銭形平次』と『北の漁場』を歌わせて頂きました。盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の入居者さんは聴き上手なのでお経も歌も乗りに乗って声を出す事が出来ました。と言う事で改めて「何をするのも自分一人では無い」と思った次第です。

お参りの後は会議が出来る様に会場変更をしてから、全体会議に挑みました。現在は80床有る内の30床の事業展開なので(この状態で既に3年が経過しようとしています。正直立派な施設なのでできるだけ早く80床での運営になりたいです。)職員は全員でも17名なのですが13名の参加(入居者さんの対応もありますから)ですから参加者はマックスだと思います。各委員会からの報告や今後の展開を発表されるのですが、職員数が少ないからこそ出来る内容に理事長として満足しています。委員会報告の後は吉澤施設長からポイントを熟知した提案があり、次に本部施設の水野施設長兼理事から思い溢れる話を聞いた後、最後に総括的に理事長兼総括施設長として、前日の理事会で承認された指針を中心に今後のあるべき姿について語らせて頂きました。

和(なごみ)の方で施設の昼食+職員が作って下さったうどんを頂きながら吉澤施設長との打ち合わせをして午後から行われる和合の施設での全体会の為に移動しました。東京出張と理事会の為に2日間施設を空けていたので、決済や伊藤副施設長らとの打ち合わせをしていると定刻の14時になってしまい急いで全体会会場に行き、全体会に挑みました。この会議も私が昨年の8月に施設長として就任した頃と比べると随分落ち着いた雰囲気で提案内容も充実してきたと思いますし最後に理事長兼施設長としての総括的な話に対しても耳を傾けてくれる職員が多くなったと感じています。それぞれの発表の中で昨年度と比較して事故件数が半分以下になったとの報告には満足しています。職員の人数はかなり加配されていたので少なくしてきたにも関わらずと言う事で、今の職員の頑張りに感謝です。勿論この状況に満足するのではなく、入居者さんの笑顔を引き出すための企画を多くしていく為に職員が一丸となる事が大切だと最後に語った事は言うまでもありません。今までの体制の中で良かった事は堅持しつつ、新たな挑戦をしていきたい全体会を通して思った次第です。

全体会が終了後、17時からの岐阜県庁での打ち合わせまでに時間があり、くたびれた革靴の購入が出来ていなかったので近くのショッピングセンターで購入して県庁に行き、打ち合わせ後県庁内のコンビニで夕食用のパンとおにぎりを買い駐車場の車のなかで食べてから19時から県庁6階で行われる感染症対策の会議の為18時35分に会場に向かいました。17時30分には正面玄関が閉まるので職員が出入りするところから入って行くと職員の方が待機されていて誘導して頂く形で会場に行きました。既に何人かはみえていたのですがこの会議は岐阜県の感染症に関わるお医者さんが中心で福祉の代表は私の他に一人だけ。施設の状況を必要に応じて意見を求められる形での会議です。コロナ感染症対策が大変だった時には何度か実施されたのですが今後は年に1度程度の開催になる事が確認されました。最後の会議が終了したのは20時で正直ぐったりでしたが私に出来る事はこれからも頑張っていきたいと考えていますのでリピーターの皆さん今後も私の動きを見ていて下さい。

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