令和7年8月29日
平成4年3月末で児童養護施設を退職し、大学等の非常勤講師や家庭教師をしながら『教育・福祉カウンセラー』と言う名刺を持って色んな所に行き、今で言う『フリースクール』の様なものや『親の会』などを展開していく中で「拠点が無ければ本当にしたいことができない」と言う事で1年かかって『情緒障がい児短期治療施設』の計画をその当時の岐阜県児童家庭課に持ち込んだ時に「児童福祉施設をここ10年は計画しない。」との回答を得て、悶々とした生活を過ごしていく中でその当時福祉の重鎮であった吉田宏岳先生(当時は日本福祉大学中央福祉専門学校長)から「若山さんなら種別は違っても頑張れると思うから特別養護老人ホーム設立してみたらどうか」とのアドバイスを頂き、先ず最初に私が行ったのは関ヶ原町の高齢者の実態調査でした。
その結果を持ってその当時の高齢福祉課に建設に伴う相談に行ったところ、「先ずは土地の選定をして住民の理解を得る事が先決だ」との助言を頂いたので一先ず土地の選定に取り込む事にしていく中で地元今須に住んでいるかなり年上の従兄弟から、候補地の提案があり尚且つ、「地主を含めた地元の取りまとめはしてあげる。」との事でとんとん拍子に地元の説明会の開催にこぎつけ順調に話が進むかに思えたのですが説明会の会場に行ったらいきなり地主の一人が「しっから話を聞いていないし、土地を譲る積りもない。」との発言に私は真っ青になり、その会場を逃げる様にして帰ったのを覚えています。
その後しばらくして「地元の話し合いが上手くいかなかったと聞いてきたので私の土地も入れて7人の地主の土地で計画してみてはどうか」との話があり、尚且つ「地主さんへの話を私が取りまとめようか」との提案がありましたが「当事者である私が話をしなければいけないと思いますので私が回ります。但し私が突然言っても何の事か分からないので最初の紹介の時には同席して下さい。」と言って1回目の挨拶には同席して私の紹介をして貰い、その後は毎日の様に夜に地主さんへのお願いに行き、7軒の家に何度も足を運び1カ月くらいで地主さんの了解を得て地元説明会に挑むことが出来ました。その時の経験から「人任せは駄目だ」と言う事を理解して今に至っています。その経験から今でも事故等が起きたことは理事長として或いは施設長として』家族への対応には先頭に立って対応しています。
職員には「事故が起きた時の責任はトップが担うものであり、職員は同じ事で失敗しない様な配慮をした対応に努めて下さい。」と話をしています。こんなスタンスで27年介護事業を進めてきました。リピーターの皆さん、至らない所にお気づきになったら教えて下さい。