令和5年9月1日
本日も朝5時からお経を5か所で唱え、8時30分までには和合の施設で『てるてる座』の座長にお会いしなければいけない約束を昨夜電話でしたので、急いで朝食を食べて和合に向かう事にしました。車に乗って施設の方を見ると本館2階の屋根の所にあるトップライトがしっかりと開いていたのです。「流石にしっかり対応が出来ている。この様な地道な『当たり前』の積み重ねが良い施設になっていくのだ」と思い朝から気分が良いです。8時15分に和合に着くとてるてる座の座長だけでなく、『あんドーナツさん』と『亀ちゃん』(長い付き合いですが本当の名前は知りません。)も一緒に来て一生懸命にビー紙大に書かれた多くの歌詞資料の整理をして下さっていました。
一生懸命にして頂いたので先ずはご挨拶をして、ペットボトルのお茶とお菓子をお持ちしました。作業を終わられた段階で敬老週間初日にてるてる座のボランティアが実施されるので施設行事とのマッチングにする為のお願いをすると、快くお受け頂けたので敬老週間初日の企画に華を添えて頂ける結果になりました。話題はガラッと変わりますが先般本部施設で全体会が行われた時に「9月1日は何の日ですか。」と聞いたところ手を挙げて答えてくれた職員が「防災の日です。」と答えてくれました。そんな答えを想定していなかった私ですが、動揺する事なく「防災の日に決められたわけは何ですか。」と再び聞くと「分かりません」との返事には流石に動揺しながら「関東大震災から100年なんです。」と言うと今度は多くの職員が大きく頷いてくれました。
100年前の事ですから当然私は知りません。但しテレビ等の情報によっての知識はあります。「東京が火の海に包まれた。」と言うイメージです。災害に100年周期があるとすれば緊張感を持たなければいけないのだと思います。今朝の新聞の情報では私の中にある大変な地震は2011年の東日本大震災(2011年)の時の死者・死者不明者が2万2217人で阪神淡路大震災(1995年)が6437人なのですが、関東大震災では10万5385人と言う事ですから文字通り桁外れの大災害であったと言う事だと思います。
100年周期があるとした時に海なし県の岐阜県にまで津波が来ることはないと思いますが(来たら日本沈没ですよね。)仮に東南海地震が襲来した時には三重県及び愛知県からの避難者の受け入れを円滑に行う為の計画をより具体的に考えていかなければいけないと考えています。災害が起きた時には地域力を高めていかなければいけないと思う方も多くおみえになると思いますが「災害は忘れた頃にやってくる」と言いますが日頃から地域力を高めていく事が災害時にも役に立つと思いますので今後も心していきたいと考えています。