理事長コラム

教員辞職後の勘当時代

本日、午後より大垣市社協の方が成年後見人制度の事で説明に来て下さり、新規施設の盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の話をさせて頂いている時に私の社会福祉法人への考え方を熱弁していて、勢い余って、教員生活を父進に何の相談もせずに退職していまい、家に帰ってから報告をして父進さんから「今須は世間の狭い所だから、家でごろごろしているわけにはいかんから、どこかに居を構えなさい。」と言われて慌てたこと慌てたこと。父進さんを甘く見ていた・・・。当時の私は世間が狭くて正直途方に暮れたのですが、そんな中で閃いたのが大学時代に真面目に取り組んだのが柳田民俗学のサークル活動の一貫で徳山ダムの建設で水の底に沈んでしまう旧徳山村の調査を当時の文化庁からの補助金を頂いて取り組んだ時に合宿先にしていた民宿での居候生活でした。当たって砕けろとばかりに翌日にはその当時カメラを首にかけて村中でめっちゃやたら写真を撮ってその後写真集まで出版した増山たず子さんの家に突撃。自分で言うのも変ですが若いって言うのは素晴らしい。増山のおばちゃんに「お客さんが一人でもあったら私が料理を作りますからそういう日はただにして下さい。お客さんが無ければ3食付きで2000円払います。」との私の提案を認めて頂き居候が成立して、翌日着替えとその当時はやっていたラジカセと筆記用具のみを準備して再び徳山村に行き、まるで徳山村の住民のような生活が始まりました。結果的には全くと言って良い位に一日2000円の支払いはありませんでした。何故かと言うと殆ど切れ目なくお客さんがあったからです。私がお客様に出す料理は魚の養殖をしている家に行きお客さんの人数×2匹プラス私の分の魚と徳山村唯一の産業のとっても固い豆腐を購入して、魚は綺麗に水洗いをして鉄櫛に刺し思いっ切り塩を付けて囲炉裏端の炭火で焼く。豆腐は川の上流に行きマムシも恐れない(無鉄砲なだけなのですが)で突き進んだところで採った天然わさびを擦ってのせ、わさびの茎は漬物の様に前日に仕込んで、ジャガイモは地元の方から提供して貰ったのを囲炉裏の炭火の上に網をのせて焼きバターを付けたりお塩を付けたりしてお好みで食べて貰いました。どうです素晴らしい料理だと思いませんか。私は毎日同じメニューでも美味しく頂ける人なので全然違和感なく食べる事が出来る人間で良かったです。昭和54年と言うのは衆参同時選挙で「最後の選挙戦」と言う事でマスコミがわんさか来て、民宿の経営者である増山たず子さんは『徳山村の語り部』的な方だったので取材も多くてしかもその当時はバブルのさなかでマスコミの方の経費もたっぷりあった時代だったので、取材が終わると夜遅くまでの飲み会でマスコミの方を相手にして酔っぱらいながらも色々な話をしたものです。その当時はダムの保障問題で徳山村の住民が賛成反対で揺れ動いていた時期とも重なり私も多くの事を学ばして頂きました。リピーターの皆さん。人生に無駄なし。稀有な生き方をこれからもスポットで語っていきますので宜しくお付き合い下さい。