理事長コラム

岐阜新聞の記事から

本日岐阜新聞19面社会面『氷河期世代、転職は34回』の記事を見て尚且つ『47歳、生活保護は通院と母の介護費に』のサブタイトルを見て興味を持って記事を読ませて頂きました。

最初に【「全てが誰かのせいだとは思っていない。でも、これは自分のせいなのか」。

生活保護を利用し、県内のアパートで高齢の母と暮らす47歳の男性は1978(昭和53)年生まれの就職氷河期世代だ。転職を繰り返すこと34回。ほとんどが派遣労働だった。

履歴書には、さまざまな会社名と「一身上の都合により退社」が交互に連なる。

今なお、どこから歯車がかみ合わなくなっていったかを思う。

18歳の頃、縫製業をしていた両親の会社が傾いて、進学予定だった短大に入れなくなった。

「高校の卒業式を終えて家にかたら、電気とガスが止められていて。入学金が払える状況ではなくなってしまった」。

時給1200円のアルバイトを見つけて殆ど休みなく働き、月18万円ほどの稼ぎの多くを両親らが暮らす実家に入れた。(中略)25歳の頃、パニック障害とうつ病を併発し、職場を離れた。

「親からは怠けている、甘えていると見られて、家に居づらかった」と周囲の無理解を振り返る。

「無理やりでも働かざるを得なくなった。」と、心療内科への通院を半年ほどで中断し、製造業や物流工場、食品加工会社などでの派遣労働を転々とした。

(中略)昨年から、生活保護の利用を始めた。

医療扶助や介護扶助も利用し、自身は心療内科への通院を再開したほか、無年金の母は介護サービスを利用する様になった。

就労への思いはあるが、収入が基準額を上回って生活保護が廃止になると、医療や介護を受ける余裕がなくなる。

「正直、働いていた時より今の方が、まともに生きられていると思う」ただ、生活保護へのためらいはあった。

利用に当たっては原則、自動車を持っていると手放さなければいけなくなるというルールが引っ掛かったからだ。

乗り始めて10年たっていた車は、愛着があったが処分した。

「大切にしていた車さえ持てないなんて」。

坂の上にある自宅への帰り道を自転車で走りながら、今も、もやもやとしている。】

(※ 随分長い抜粋記事でしたが以下に私のコメントを書きます。)

47歳男性に焦点を当てた記事でした。

日本国憲法第25条には『全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国民はすべての生活面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』との明確なルールがある。

第二次世界大戦で大敗北をした日本がいの一番に取り組んだ『貧困』が80年の月日の中でも存在している。

勿論色んな事情で「止む無し」と言う状況はあると思います。

そんな中で今回の事例の中で切に思うのは「何らかの期間に、或いは誰かに相談することが出来なかったのか」と言う事です。

人生に「もしも」と言う事は無いのですが、私の場合は困った時に相談に乗って下さる方があり、今があると思っています。

例えばの話ですが私が定期健診で『前立腺がん』が見つかった時、盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の施設の経営が最も厳しい時で、正直治療する気力もなくて半年ほど放置していた時に信頼している嘱託医の先生が「放置していてはだめだ。紹介状を書くので大垣市民病院に行きなさい」と背中をおして貰い放射線治療をした結果、ステージ2であったのが殆ど気にする必要が無いまでになりました。

「運が良かった」と言えばそれまでですが事実です。

本題に戻します。

人間同士の関係が希薄化しているのも立ち直れない大きな問題だと思います。

社会保障制度は文字通り『申告主義』である事にも課題があると思っています。

また、車の所有が基本的に許されていないのも就労意欲を阻害している様に思っています。

少し意味合いは違いますが、高齢者になり運転免許の返納が進んでいますが、免許返納によって行動範囲の縮小が進んでしまい心身の低下が進んでしまう事にもなっていると思っています。

就職氷河期の方が介護職に就いてくれて『ウインウイン』の関係になる仕組み作りをしていきたいと考えています。