令和3年3月4日
ふれあい広場の準備に明け暮れながらも、本来私の業務は小学3年から6年までの学習を夕食前にみて、夕食後は中学生の学習を22時まで見る事でした。小学生の学習は順次宿題の確認をして国語の本読み、あるいは私が手作りしたプリントをする程度でした。小学生の子は、直ぐに馴染んでくれたので全然違和感無しに最初から出来たのですが、中学生の子についてはそんなわけにはいかず、集団学習をしている机の間を行ったり来たりする毎日でした。そんな中で中学1年の女子が初めて手を挙げて教えて欲しいとの事で勇んで彼女の所に行き問題を見た瞬間に頭が真っ白。だって私のその頃の頭では解けそうもない問題だったから。つまり私は指導者の立場でありながら、指導など出来る知識などない指導者だったのです。但し一つの救いは『一緒に問題を解く』お付き合いの出来る指導者だったのです。
今だからこの事を平気に言えるのですが、指導者としては綱渡り状態だったのです。端的に言えば私の学力は子ども達と共に伸びていったと言っても過言ではありません。だから、通常の学校の先生のようにしっかりとした学習指導が出来るだけの能力を持ち合わせていなかったので、子ども達に私自身が育てて貰ったと言っても過言ではありません。但し、問題を解くときはその都度真剣勝負だったので私自身が学習意欲のめちゃめちゃ高い『生徒』だったと言えるのでは無かったかと今になって思っています。だってもともと学習能力の高い子は、さらっと解けてしまうので、解けた時の『感動』は少ないと思うし、下手をすると「分からないと言う事が分からない」先生になってしまうように思います。そう考えていくと私の人生は『知らない事を色んな方に迷惑をかけて育てて貰っている人生』と言っても過言ではないと思っています。
改めて具体的に述べるならば、中学2年の歴史の授業を教えなけれはいけない時にも事前の仕込みの中でいかにも色んな事を知っているように調べた事を話ししたり、小学校4年の理科の実験では「何故このようになるのか」も理解して無くて気付きの多い子(頭の良い子)の指摘を受けながらの授業だったと思うのですが、今から考えると「子どもと同じレベルで考えれて良かった」と言う事になるのです。児童養護施設での13年間も子どもたちと一緒に頑張れたから成果があがったと言えると思います。
平成10年5月に事業開始した本部本館にしても、児童福祉についてはある程度語れるようになっていたと思いますが、高齢者福祉については、正直何も理解出来ていない中でのものだったので、入居者さん、利用者さんに色んな形で教えて頂いたお陰様で23年と言うのが本当の事なので、今回5月16日に竣工式が行われる岐阜県初の盲養護老人ホームについても入居者さんに教えて頂きながらの運営になりますのでリピーターの皆さんの温かいご声援をよろしくお願いいたします。