2023年06月の記事一覧

妙応寺の盆施餓鬼法要について

令和5年6月30日

本堂の所に8月恒例の盆施餓鬼法要の掲示物があり、写真に撮ったのですが全体に黒くて字を読み取る事が出来ないので私が感じたことをコラムに書く事にします。先ず驚いたのが盆施餓鬼法要の期間が8月3日、4日の2日間で9時から16時で昼食休憩が1時間との事だった事です。何に驚いたかと言うと私が知っている妙応寺の盆施餓鬼法要は1週間通しで朝は7時から休憩はあるにしても21時過ぎまで実施されていたと理解しているからです。コロナの影響でお参りする方が減ったのか、お互いに時間的余裕が或いは金銭的に余裕がないのかはわかりませんがお参りが激減している事は間違いないです。

とは言え若山家もいつの頃からか行っていません。多分息子たちが家から出てしまった事が最大の原因でなかったかと思います。と言うのは盆施餓鬼のお参りの前には参加した全員が食事の接待を受ける事が出来て以外とこの事が嬉しかった様に思います。施餓鬼の申し込みには事前にお供えを準備して施餓鬼の日には妙応寺に早くに受け付けに行ったものでした。今朝の掲示物には注意書の様に「午後からは比較的すいています」と書いてあったのも驚きでした。

本日は高山へ出張です。

テレビの天気予報で「岐阜県には激しく雨が降ります。」との報道を受け昨日の内に車を運転して行くのを諦めて電車で行く事にして、昨日の内に切符を手入れれました。と言うのは関ヶ原駅は駅員の方が少なくて売り場が締まっている事があるからです。列車は関ヶ原を12時22分発に寝ると15時12分に高山に着くので高山駅前にあるワシントンホテルに荷物を預けて16時からの会議に 参加すればちょうど良い時間になるからです。只今、岐阜駅を特急飛弾に乗り込みました。自由席ですがしっかり座関を確保出来ました。

但し、アナウンスが一回は入ったのですが、アナウンスされた番号がどこに書いて有るのかが分からなくてホー私が掲示は上にあるものだと思い込んでいてふと地面を見ると書いてあったのですがその時には先程のアナウンスされた内容を忘れてしまったていたので、ホームに列車が入ってきた時に自由席は4号車で私が立っていた所は1号車の所だったので慌てて4号車の所に行きました。車両に乗り込む時に結構高くて「よっこらしょ」と荷物共々上がりました。

空いている席を探すまでもなく座る事が出来たので今は余裕を持ってガラケーの携帯でコラムを打っている次第です。と言う事でのんびりしていたのですが車掌さんから切符の確認にみえたのには感動でした。だって新幹線に乗っても車掌さんから切符の提示を求められた事がないからです。特に自由席なのにと思いましたが、逆に特急券を持ってない方が乗られてないかの確認なんだと理解しました。取り敢えず本日のコラムはこの程度にして飛弾路の景色を車窓から楽しんで16時からの会議及び懇親会は来賓としての役割があるのでリピーターの皆さん頑張りますのでご支援宜しくお願い致します。

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若山家の食卓

令和5年6月29日

若山家の朝の食卓は常にご飯に味噌汁があり、海苔瓶、しぐれの佃煮、ふりかけ、味付け海苔、鮭フレーク等々がその日によって出てきます。おっと、忘れてはいけません、必ず漬物が5切れもあります。最近は私自身の食事管理の中で『納豆』『野菜サラダ』そして昨日紹介した『糖質ゼロのヨーグルトにきな粉を混ぜたもの』が加わっています。若山家の味噌汁は私が生まれてからずっと赤味噌汁です。但し最近まで奥様が味噌汁にお茶を入れていたのですが、最近はお茶を入れなくても大丈夫なくらいの濃さになっています。(つまり、かなり濃い味噌汁だったので、最初は違和感がありましたが今は普通に頂いています。)かつて私は納豆が食べられなかったのですが(「糸を引く納豆やチーズなど食べてたまるか」と言っていたのです。但し今でもチーズは苦手です。だからピザも食べられません。)

平成18年8月から全国老人福祉施設協議会の役員になり、東京で宿泊する事が多くなり、正直ホテルの朝食で納豆を食べないとおかずがないような感じがして、何とか食べる様になって15年が経過して、今では普通に食べられる様になりました。そしておかずをしっかり頂いてから(10分以上かけて)ご飯を食べる様にしているので、ご飯の量が減っていると思います。昼食は基本的には施設の食事を頂いているのでバランスの良いものだと思います。夕食については文字通り激変しています。

と言うのは、我が家で食事するところから主食の米や大好きだった麺類が消えているのです。つまり、副菜のみにしています。正直、今までの食生活は滅茶滅茶だったと言っても過言ではありません。例えば、遠出をしてサービスエリア等で食事をする時には、ラーメンやうどんを食べた上でカレーライスを食べたり、丼ぶりものを食べていたのです。また夕方にお腹が空いた時等は、情け容赦なくあられを食べていましたが、その様な事も無くなりました。

食事について若山家で特筆すべきは、おかずの味つけに殆ど砂糖を使わない事も挙げられます。今から考えたら無茶な食生活をしてきたものだと思います。それだけではありませんでした。日本酒も時として浴びる様に飲んでいました。この事は「糖質控えめしよう」に対して全く矛盾している事にも気が付き、6月20日に東京で久しぶりに飲んだ時には、おちょこ1杯のみを日本酒にして後は麦焼酎をロックで飲んでいました。(既にコラムで書いています。)

ここ3年はコロナ対応の一貫で外で飲む事は皆無だったので(最近はぼちぼちありますが)、晩酌の習慣が出来てしまっていたのですが、外で飲むことが無かった時には「0の日」のみ、しかも麦焼酎をロックで2杯飲む様にしています。久しぶりに会う友達との会話は病気の事が中心になっていて私は正直うんざりしていたのですが、最近は少し状況が変わってきています。やはり70歳は『古希』と言う事ですので色んな事を考えなければいけない。と言うよりは考えるべき。無茶が効かなくなってきたと言う事でしょうか。

でも古希についてインターネットで情報を調べてみると、奈良時代では40歳が『初老』だったと書いてありました。現代においては「おいおい」と言う事で「70歳はまだまだ」とも言えますがリピーターの皆さん「お互いに油断を召されるな」と言う事なのだと思います。

こぼれ話をいくつかします。

令和5年6月28日

①人生は帳尻が合うようになっているのかな・・・。

最近富みに「今の私は何故休む事なく仕事をしているのか。」と考えています。この現象は多分疲れのピークだからかと思っています。かつて児童養護施設の指導員時代に公休日であっても施設に行っていたのは、大学を1年余分に行かせて貰って(と言うより丸々5年間の大半は休みの様な生活だった様に思います。)尚且つ、教員を退職して5ヶ月間は旧徳山村で飲めや歌への生活をしていたので、児童養護施設に就職したときには「前倒しの有休と公休を頂いたから」と豪語していたのですが、だとすると今、休みなく働いているのは何だろうと考えています。思い当たるのは生まれて半年後に心臓が約5分止まってからの生活が文字通り虚弱で生きているだけで何もしない毎日であった事と中学を卒業するまでの毎日は本来やるべき事の半分も出来ていない生き方だったから今はその時の元金と利息を払っている毎日なのかと考えています。

②久しぶりに見たカエルは大きくなっていました。

六地蔵様の花立にいたカエルは写真でみて頂いた通りに前回より間違いなく大きくなっていました。それよりも私が興味を持ったのは花立の急こう配の所にしっかりとへばり付いていた事です。そして感心していて、ふと頭に浮かんだのはトムクルーズ主演の「ミッションインポッシブル」の映画でトムクルーズが道具を使ってビルの窓を上る情景でした。トムクルーズの忍者の様なシーンは素晴らしいけれどカエルは楽々とやってのけている事に感動です。(何のこっちゃ)

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③糖質ゼロのヨーグルトときな粉

8年前に他界した養母英子さんが生前元気だった頃朝食時に糖質ゼロのヨーグルトにきな粉をかけて一生懸命に混ぜてから食べているのを見て「朝からご苦労さんな事だな。」と思っていた私が恥ずかしながら今は同じことをしているのです。しかも養母英子さん以上に朝食時に気を使っているのは、10分はかけて(アラームをセットしています。)野菜を中心にした副菜を食べてから主食のご飯を頂くようにしています。今までは「児童養護施設の指導員は早食いになるのです。」と言っていたのですが、随分変わりました。と言うより、その様にすることを楽しみにしている感じすらします。昔から言うではありませんか。『心頭滅却すれば火もまた涼し』・・・。リピーターの皆さん少し無理がありますか。

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岐阜新聞社会面(19)から

令和5年6月27日

東京の社会福祉法人『障害者を10年間虐待』『府中市は7年認定せず』の見出しがあり「またか」と言う怒りの思いで記事を読んでいきました。記事を読んでいる中で最初に気になったのは『市職員OBの男性元副理事長が約10年間、知的障害の利用者らに虐待を繰り返し、行政に十数回内部告発や通報があったのに、市が7年余りの間、虐待を認定していなかった事が26日に、分かった。法人の第三者委員会がまとめた調査報告書を共同通信が入手し、判明した』との内容に対して私は社会福祉法人側が市に対して影響力が持てる人材として期待して副理事長に迎えたのだと思います。確かにその効果があったからこそ7年間も虐待の事実が放置されたのではないでしょうか。勿論市との間を密にするのには大切な事なのですが市が『隠蔽』に加担する様な形になったのは残念でなりません。

もう一つ言いたいのは法人の元副理事長が市の幹部として法人に配置されたからと言って福祉の専門家であったわけでは無かったのだと思います。私も社会福祉法人の理事長をさせて頂いていますが理事長は経営・運営のかじ取りをしっかりすると共に入居者さん、利用者さんの立場に立って職員教育がしっかり出来る様に努めていかなければいけないと思います。と言う事は「福祉は全ての方々が幸せになる事に努めていく。」と言う事が根幹に無ければいけないと常に思っています。そしてもう一つの見出しの中に『元副理事長「虐待、どうせ家で話せない」』との発言には、同じ社会福祉法人の関係者として『怒り』を感じます。報告書には『元副理事長は自閉症で行動障害で行動障害がある利用者に「うるさい!」などと怒鳴るほか、拳で利用者の頭をたたいたり往復ビンタをしたりしながら叱る行為を何度もしていた。職員にも「能なし」「頭がおかしいから病院で診てもらえ」などと発言。殴るなどの暴行もあり、ハラスメントに耐えかねて辞めた職員もいた。との記事を見て思う事は、元副理事長は優秀な大学を出て市役所の中でも認められた存在だったので無かったか。そんな環境の中で知的障害者施設での仕事をする中で『上から目線』の気持ちが前面に出てしまったのではないでしょうか。自然の摂理の中で何らかの『障害』を持って1%の確率で生まれてくる。人間以外の動物は淘汰される存在なのでしょうが人間だけは『人間の尊厳』の意味から大切にされなければいけない。その様な事が分らない方が福祉の仕事に就くこと自体可笑しな話だと思います。辛辣な言い方をするならば「『福祉』を舐めるな。」と言いたいです。すみません。今の私は『福祉』しか知らないのでリピーターの皆さん誤解なきようご理解下さい。

昨日の理事会で理事長に再任されました。

昨日は15時から社会福祉法人杉和会の評議員会があり、収支決算の承認に続いて理事候補の承認で7人の理事全員の再任の承認がされ、その承認を受けての理事会が引き続きあり、理事会の中で理事長に私が再任されました。

改めて気が引き締まる思いです。初代理事長の逝去に伴い(平成14年4月29日)翌月5月の理事会において2代目理事長に就任して早や21年の月日が流れました。平成10年5月に本館が事業開始した時には常務理事と言う立場で「後に理事長が控えている」と言う安心感が頭の片隅にあった事は間違いなくあった様に思います。

しかしながら、平成14年5月からは待ったなしの責任が有り、よくも20年以上理事長を全う出来たものだと思います。平成14年頃は本部施設本館しか無くて、職員も50人程度だったと思うのですが、それから21年が経過していくなかで平成16年には、本部施設新館が開設され職員も80人に膨れ上がり、平成26年には大垣市和合に優・悠・邑 和合を開設して職員も一気に150人になり、令和3年には岐阜県初の盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設が出来、措置施設の経営の難しさはありますが、2つの施設が経営の後押しをして、頑張れる体制が出来ているのは理事長として有難い話であります。

本日午前中に視覚障害者の団体である「岐阜アソシア」の評議員会に参加させて頂き、会議の最後に意見交換会があったのですが、優・悠・邑 和(なごみ)の施設見学の希望が多くあったのは非常に有難く思いましたし、会議終了後、隣の席だった監事のお立場で元大学の先生であった方から「今は厳しい経営であっても将来展望を見渡すととても大切な施設なのでみんなで応援していかなければいけない。」とのお話を頂いて、社会福祉法人杉和会の理事長としてますますリーダーシップをとっていかなければいけないと改めて思った次第です。

確かに現実を見ると諸物価が高騰して経営が圧迫されている中でより効率的に節約をしていく事は大切だし、職員が一丸になって取り組まなければいけない事だと思っています。実際の所、関西電力から1通の書簡が送付されて来ました。その中身を見た時に愕然としました。その中身とは今は電気料の15%の値引きがされているのですが、9月からはその値引き率が1%にまで引き下げられるとの事。この値引きの引き下げによって昨年の実績でいくと年間で111万円と言う事になります。

本部施設は徹底した節約をしていますのでどうやって111万円を捻出していくのか本当に理事長としては難しい舵取りだと思っています。節約をするにしても入居者さん、利用者さんに不利益が被る事は絶対にすべきではありません。

職員が一致団結をして稼働率を昨年の実績である97%から98%に上げて(簡単な事ではありませんが)今以上に無駄を無くす努力をしていくしかないと考えています。この厳しい窮状を国民の皆さんにご理解頂ける様に私も努力していきます。

リピーターの皆さんの温かいご支援も宜しくお願い致します。

昨夜のブラタモリは関ヶ原合戦特集でした

ブラタモリの番組で関ヶ原合戦が取り上げられる事については、第2回全国老人福祉施設大会・研究会議 JSフェスティバルin岐阜の打ち合わせを関ケ原町観光協会西脇専務理事としている時に「ブラタモリの番組で関ヶ原合戦が放映される。」と言う事は聞きました。正確な日程まではしっかり聞き取れなかったのですが、昨日の夕食の折りテレビ欄で19時30分からと分かったので19時からのNHKニュースに引き続いて見る事にして「さてさて録画をDVDに収めるのをきちっとして貰えるのは」と考えて宿直の水野相談員に「今井介護福祉士に録画を依頼して」と連絡すると5分もしない内に水野相談員から「今井さん既に準備されているとの事です。」との事で「流石に今井さんだ」と思った次第です。

今井さんは介護職員の最高齢で75歳になる方なのです。60歳の時まで自宅介護をされていてその折りに当施設のショートステイやデイサービスを利用して頂いた方で、最後の看取りまでしっかりされて、「今度は恩返しをしたい。」と言う事で当施設の職員として入職されて70歳を前にして介護福祉士の資格も取得され、今は常勤並みに仕事をするのは難しいと言う事で7時から12時の短時間勤務ではありますが頑張って貰っています。彼女はとても朗らかで天性の明るさと頭の回転の良さを備えてみえるので大変助かっています。今回も「こう言う事は今井さん」と思いつくような存在なのです。

朝、事務所の私の机の上には今井さんが録画したと思われるDVDが2枚置いてありました。

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さて、昨日19時30分から20時15分に放映されたブラタモリについての所感を以下に述べます。まず最初に映し出されたのは関ケ原町の駅前通りで、タモリさんと女性アナウンサーが歴史学者で静岡大学名誉教授小和田哲男先生の案内で国道21号線を歩きながら中山道から伊勢街道、北国街道に繋がる街道の要所である事の紹介があり、番組の構成は石田三成や徳川家康の話では無く、大谷吉継が義を重んじて石田三成に参戦して獅子奮闘の活躍をするが高みの見物を決め込んでいた(合戦場になった山の中で一番高い山)小早川秀秋が西軍を裏切った事、石田三成の重臣であった嶋左近もまた獅子奮闘していたのを黒田長政(黒田官兵衛の嫡男)の鉄砲による奇襲(関ケ原断層によって嶋左近の陣地から黒田長政の部隊が近づいている事に気が付いていなかった。)により形成が逆転したとの事。そのどちらについても「勝敗のカギは地形」と言う事でありました。調略の面から言えば西軍の大将であった毛利輝元の陣が動こうとしなかった事により、徳川家康が最初に陣を張った桃配り山から下りて西軍に攻め入る事が出来たと言う成果をあげたと言うのが最後の決め手になったと言う事も面白かった。

私は関ケ原町に生まれて70年になりますが、これほど興味を持って関ヶ原合戦の事を見たのは初めてと言っても過言ではありません。リピーターの皆さん「灯台下暗し」の状態から「70の見習い」で少しは地元の事を知る努力をしますので、その報告が出来た時にはこのコラムでまた書きますので宜しくお願い致します。

考えられない

またまたカエルの話で恐縮ですが、朝の六地蔵様でのカエルの様子です。(写真参照)

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昨日の写真では花立てにいたカエルさんが六地蔵様の左腕の所にいたのです。正にカエルさんの動きは忍者そのものだと思うと同時にどの様に移動したのかを推理(そんな大袈裟な事では無いと思いますが)するならば、

① 花立てから六地蔵様の左腕に飛び移った。もしもこの推理が正しければ「カエルは凄い」となりカエルの身体能力は正に『超ウルトラ』と言う事になります。

② カエルの足裏の吸盤を最大限に活用して下りたり上ったりした。この推理で言っても「この小さな体で凄い」と言う事になります。

昨日はあまりにしんどくて15時に帰らせて貰って体を休めたはずなのに、今朝の4時25分のアラームが鳴った時には気合を入れなくては目が醒めなくて無意識の内に意味不明の叫び声を上げて何とか起きました。(自分を甘やかしたくないので)起きてからも夢遊病者の様にフラフラしながら服を着ました。

1階に降りてもまだフラフラするので血圧を計ってみました。最近の血圧は120―80代で落ち着いていたのですが145―95とやや高めの数字でしたが「お経を唱えたら血圧も落ち着くだろう。」と仏間でお経を唱えだしたのですがいつもと違ってお経を間違える事が度々で「う~ん。絶不調」と余計に落ち込んでしまいました。(いつもだとお経を唱えるとテンションが上がるのですが・・・。)

「お墓参りで歩いたら元気が出て来るかも。」と考えて外に出ました。幸福地蔵様での祈りもいつもの様に元気よくは出来ず、本堂でのお経にも腹の底からのお経も唱えられず、今須稲荷様でもぼそぼそとしか声が出ず、三仏様(観音菩薩様、毘沙門天様、不動明王様)での般若心経にも力が入らず、無縁仏様と常在不滅之塔でもただ手を合わせるのみで・・・。

「う~ん。これでは何の為にお参りに来たのか。」と思いながら六地蔵様の所に行き向かって一番左のお地蔵様を見たら、左腕にカエルさんがいたので「こんな小さな体で頑張っているのに私は何をうじうじしているのか」とカエルさんに咤激励された様な気持ちになり、若山家のお墓に向かいました。

流石に若山家のご先祖様は寛大でした。お経の声も段々と大きくなり元気に家に帰って来て新しくなった給湯器のお風呂にゆったりと浸かりました。本調子には程遠い状態ですが、明日は評議員会に引き続き理事会もあるので咤激励で頑張ります。

でも腰も痛いし頭も重いし・・・。「とにかく頑張ります。」

昨日18時からの展開

令和5年6月23日

トラピの斉藤さんからメールで「18時に米原へ」との連絡を受けたので「デイサービスの事だから北島部長に運転させて迎えに行こう。」と胸算用していたのですが、良く有る事で『予定は未定で決定ではない』事がまたまた起きました。と言う子は関ケ原町包括での打ち合わせが長引いたのか17時20分になっても帰って来ないので私が一人で運転をして迎えに行きました。

米原駅に着くと17時55分で何とか時間に間に合ったのですが迎えに行く本人である斎藤さんから17時33分にメールが入っているのに気が付き確認すると「17時55分頃、新幹線到着予定です。」との事で窓越しに外を見るとそれらしい方が携帯の画面を見てから私の車を目指してみえたので「メールで白い車と書いたのは正解だったな。」と思って外に出て「トラピの斎藤さんですか。」と言うと「わざわざのお迎え有難うございます。」と言われて車に乗って貰い車を運転しながら私の武勇伝と今回依頼した理由を話しして本部施設があるゲストハウス(秋田杉で出来た立派な建物です。に乗り付け10人は座れるテーブル(足が伸ばせるものです。)に案内しました。

先ずは夕食を食べながらのリラックスタイムから段々と本論に入って行く中でトラピの斎藤さんは「流石に聞き上手だ。」と思った次第です。北島部長も質問にたいして一生懸命に答えていて、気が付くと21時を過ぎていたのであとの事は「明日現場を見て貰ってから。」と言う事で斎藤さんがゲストハウスで泊まられるのでその案内を北島部長がして散会しました。

本日は朝7時に斎藤さんが朝食を本館で食べて頂く事から始まり、7時50分からのデイサービスの送迎前の打ち合わせの見学から参加して頂き、送迎に出てからは敷地内を歩いて色んなアクティビティの提案が出来る様に歩かれていました。その後はデイサービスの利用者さんと職員の様子を隈なく見て頂いています。

デイサービスにコンサルを導入したのはデイサービスの収支が大きく赤字に落ち込んでいるので、昨年度全国老人福祉施設協議会デイサービス部会で25の事業所の相談事業に取り組んで頂いて高評価を得た実績から当施設のデイサービスセンター『えりかの里』のコンサルをして頂く事になった次第です。理事長として外部委託の決断をしたのは私も含めて硬直している考え方になっていないかを検証して貰うと共に新しい提案をして頂く事によって職員の意識向上につなげて収支の上向きを期待してのものです。結果が出るには1年近くはかかると思いますが職員共々しっかりと取り組んでいきたいと考えています。

【余談】

六地蔵様の花立の花の所にカエルがいたので思わず写メで写真を撮ったのですが、葉っぱの中でわからない様にいるのは忍者みたいだと思いましたし、忍者と言えば殆ど真っすぐな花立てをよくぞ上ったと感心した次第です。

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結構な雨でした

令和5年6月22日

朝のお墓参りの為に外に出ると、結構な雨が降っていました。ここは「雨にも負けず」で頑張る事にしました。雨が降っている為か寒く感じられましたが、当然の事ですが頑張りました。今は温かくなってきたので下はパジャマの上にジャージのズボンをはき、上はパジャマの上に半袖のTシャツを着て出掛けました。右手には金剛杖を持ち、左手には傘をさして、背中には8本の水の入ったペットボトルを背負い、地元の人間と理解されている所を歩くのですから「変な人が」と言われずに済んでいますが、結構変な格好だと自分でも思います。でもこの格好で通したからこそ1年以上続ける事が出来たのだとおもいます。

本日は強い雨だったので、長袖のパジャマの金剛杖を持っている方の右手はしっかり濡れてしまいました。濡れた右手を見ながら「小さい頃の私ならば、家に帰る頃には熱を出していただろうな。」と考えながら歩いていました。本日はレインシューズを履いての歩きだったので、靴は濡れなかったのですがジャージのズボンもパジャマの上も濡れたので、家に帰って水のシャワーを頭から被り、2004年に家を新築してからずっと使って来たお風呂の給湯器が壊れて、追い炊きが出来なくなっていたのを昨日取り換えて貰って、今朝のお風呂で追い炊きをして快適なお風呂に入ったのですが、追い炊きが終了した時には音楽が鳴って「お風呂が沸きました。」とアナウンスされた時は「この様なものも進化するんだ。」と思いながらゆっくりと浸かりました。

本日はデイサービスの改革の為のコンサルの為に、明日8時から17時まで状況把握の為に来て頂く方を米原駅に迎えに行って、施設のゲストハウスで泊まって頂くので、夕食にお寿司を食べて頂きながら理事長の思いを聞いて頂いて、デイサービスがより良くなることが出来ればと思っています。コンサルの方が朝からデイサービスを見たい。その為には近くのホテルで前泊したいとの情報を得て「近くにはホテルは有りません。しかしながら秋田杉の天然木で出来たゲストハウスがあるのでそこで是非泊まって欲しい。「遠慮は3流」と言ったら(この言葉を久しぶりに使いました。)「是非に泊まります。」と言われたので「しっかり打ち合わせが出来ますね。」と言う事で、18時には米原駅に迎えに行きます。

7時33分のひかりに乗りました。

昨夜は東京での宿泊だったので、全国大会鹿児島大会で徳島県の大塚会長(現在、全国総務・組織委員会委員長)の紹介で仲良くなった愛媛県会長で全国大会フォーラム委員長の菅原委員長とまたまた大塚徳島県会長のお誘いで徳島県と愛媛県の正副会長さんと私の5人で赤坂見附の「あんど」と言う和食に拘ったお店を私が予約をとり全国の総会が終了後約15分皆さんで歩いて行きました。

久しぶり(多分3年以上行ってないです。)に行ったにも関わらず、ちゃんと大将以下のお店の方も覚えて頂いていたのには、私は顧客満足度を上げる上で参考になるなと思った次第でした。大将お任せの料理で皆さん満足されながら私は菅原委員長が日本酒の利き酒が出来る程の酒豪で私も日本酒を飲みたかったのですが、体調の事を考えてここはぐっと我慢して日本酒はお猪口一杯だけにして麦焼酎をロックで頂きました。私も含めて強者揃いなので話題に事欠く事なくしっかりお話をして和食に舌鼓を打ちながらお酒もしっかりと頂きました。その中で私自身苦笑せざるを得なかったのは愛媛県の副会長さんがマジな顔で「若山会長は強面の怖い方だと思っていましたが優しくて一生懸命の方だとわかりました。」と言われた事でした。

20時30分にはホテルの部屋に帰り爆睡しました。早くに休んだ事もあり、いつも以上に元気に4時には目が覚めました。グダグダと横になっているのも勿体無いので、寝ながらではありますが正信偈と般若心経を経本なしで唱えました。(間違っているかどうかは定かでありません。)

その後ゆっくりとお風呂に浸かり6時過ぎから片付けをして東京駅に向かいました。今回が全国老施協副会長としては最後の出張になるのでけじめの様に事務所用にお土産に「サザエさん磯野家ファミリーケーキ」を購入してホームに行き自由席の4番ホームで列車が来るのを待っていたのですが少し気になる不思議な現象が有りました。

それは、4番ホームの待つ列の先頭に立っていたのですが(ひかりの自由席は1号車から5号車なのですが)私が立っている所には誰も並ぼうとされなくて前の車両に行かれてしまうのです。そこで考えたのは「ひょっとしたら私がヤバイ人間で私がピストル等で狙われて巻き沿いを喰ったら嫌だから」等と思われているのかな・・・。

もうすぐ富士山が見える所まで来ました。昨日は雲がかかって写真を撮れなかったのですが本日は今のところ晴れているので写メでとって見て貰えるかなと思っています。この調子でいけば10時過ぎには本部施設に着くと思われるので、16時30分までしっかり施設での対応をして17時30分からは2ヶ月に一回ある長城の会に出掛けたいと考えています。

これからも時間を有効に使って頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いいたします。

※※※富士山の写真を撮ろうと頑張ったのですが、雲がかかっていた為か富士山を見つけれなかったので結局撮れませんでしたので写真はありません。

 

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