静慈圓先生の事.
平成29年10月27日
本日は医療機構の研修が東京で行われる為今は新幹線の中ですが(只今8時7分でもうすぐ静岡のアナウンス)先般大阪で静先生を祝う会があり、改めて静先生の事を書く事にします。静慈圓先生との出会いは平成15年度事業で新館の建設が認められ、祈りのものとしてそれぞれのユニットに何かを提案したいと、滋賀信行会の内藤会長に相談したところ、「静慈圓先生に書をかいてもらったらどうか」との事。「私は静先生を全く存じ上げないので」と答えると内藤会長が「骨をおります」との事で平成16年4月の竣工に合わせて1階は和風の雰囲気のある内装に合わせて掛軸を2階は洋風の内装に合わせて額で作成したものを入れさせて頂きました。そのご縁で滋賀信行会の8月21日の本部法要に合わせて毎年20日に施設に来て頂き仏壇にお参りして頂き、その後関ヶ原の料亭末廣で食事会をさせて頂くようになり、今年で14回続いています。その間には医療・宗教の学会が高野山で行われた時には招待頂き、養老孟司先生や柳田邦男先生を紹介していただいたのには感激 ものでしたが、静先生にしてみたら、親しい友人をお互いに結ぶ位の気持ちだったかと思いますが全く恐れ多い事でした。また、静先生が現在ナンバーワンの書家と中国が認めたものとして西暦3世紀頃活躍された王羲之の墓誌の隣に静先生の碑が建てられた時の除幕式にご一緒させて頂く事が出来王羲之の子孫の方々との交流会で静先生がお礼の品として先生が書かれた8メーターの巻物3巻を見させて頂いた時は改めてとんでもない先生だと思ったものです。静先生は来年3月から法印として一年間、弘法様に代わって儀式を取り仕切る(失礼な表現かも)とんでもない役をされると言う事で来年は施設に来て頂くわけにはいきませんが(一年間は高野山から出ることが出来ないため)無事に勤められたらまた親しくお付き合いして頂きたいと思っています。先般の囲む会ではダンスまで披露して下さり気さくなお人柄を改めて感じさせて頂きました。私とはちょうど10歳年上なのですが、私も10年後静先生のようにパワフルでいたいと思っています。