網膜剥離の為に名古屋の病院に緊急手術の為に入院し2週間が経過し、明後日に退院することになりました
9月9日は折しも救急の日の夜、車の運転をしていて目の異変に気が付きました。と言うのも対向車のヘッドライトが私の目に飛び込んで来るのです。しかも、何台も何台も・・・。そこで、昨年白内障の手術をしていただいた病院に翌日に行き、待合室で何気なく左目を手で隠し右目の状態を確認してびっくり〓だってほとんど見えない状態だったから。一通りの検査を済ませて先生のところで話を聞いてびっくり〓網膜剥離の為に直ぐに名古屋の病院に行って貰い緊急手術を受けて貰う事になります。名古屋の病院の手配をしますので、家族を呼んで下さい。最低2週間の入院になるとの説明を受けたのです。そこで、家族を呼んで病院に来て貰い、長男に運転してもらったおおよそ一時間は2週間の予定で私の代わりを立てなくてはいけないものの手配を(講演であったり、来賓としての挨拶であったり、会議の打ち合わせだったり)病院に着いたらバタバタで検査をしていただき、土曜日の午後であったにも関わらず5時から手術。手術はおおよそ2時間で無事にすんだのですが 、病室に帰って2時間は完全にうつ伏せのままでといわれ、何とかクリアして、売店で買って来てくれたおにぎり等を食べ、その後、家族も帰り再びうつ伏せで寝て、疲れていたのかぐっと寝たつもりが、背中や腰が痛くて夜中の1時30分に目が覚めてからが大変でした。うつ伏せで寝なければいけないので、夜勤の看護師さんにいろんな工夫をしていただいても効果なく・・・。それから6時になるまでは1分の経過も長く感じて地獄のようでした。(うつ伏せでいるのは、手術の時に入れたガスが早く消える為と言う事でまだ、若干残っているので今夜もうつ伏せです。)この2週間の間に敬老週間があり、私がいない中での企画実践になりました。お寿司の板前さんが五人も来ていただいてのパフォーマンスや関西落語の真打ちによる落語、介護者教室、千巻経、薔薇湯、よもぎ湯などなど盛りたくさん。参加出来なかった私は大いに残念だったのですが、いないからこそ職員のやる気モードがわかると言うもの。色々な報告を聞くに付け、立ち上げ時に味わった辛辣な思いを想いだしました。それは、立ち上げ時の計画が頓挫するような厳しい状況になった時に、協力してくれた人が潮が引くように去っていった時の事です。勿論、厳しい状況の時にも励まし続けて頂いた方も多くいて下さいました。その時に多くの事を学び今に至っています。今回、私がいない状況でも休み返上で身をこにして頑張ってくれた職員がこれからの杉和会を背負って行ってくれると確信しました。勿論、色々な理由でやりたくても出来なかった職員もいると思いますのでこの実情が全てだとは思いませんが・・・。勿論、今後も是は是、非は非で邁進して行き、10年後20年後を見通した展開をしていきますので、退院後の展開もしっかり皆さんで見ていただきますようにお願いします。なお、入院中での久しぶりの原稿を左目だけでしかも携帯メールで打っていますので支離滅裂であることをお許しください。