2015年09月の記事一覧

昨夜は中秋の名月が鮮やかに見ることが出来ました

昨日は、月一回のバイキングがあり、秋の食べ物と言えば、「秋刀魚」(さんま)と「栗」と言うことで、(ちなみに、松茸は来月実施します。)いつもの魚料理は『骨抜き』になっているのですが、バイキングの時だけでも『骨付きの一匹』を七輪の炭火で炙った、熱々の物を提供し、栗ご飯に、栗の煮っ転がし(若山家のは大変好評なので希望があればレシピの提供をしますよ・・・。だだし、嫁さんに言わせると適当な味付けが良いらしいのですが)。栗ご飯は1升余分に炊いて貰って、本部施設新館西に建設中のコミュニュティーハウスの職人さんに私の奥さんのむき栗の提供を得て食べて頂きました。皆さん喜んで頂け、これでより素晴らしい建物に仕上がると確信しました。
何だかんだで朝6時からバタバタの1日でしたが、午後6時に仕事を終え、家への道を車で走っていて感動することがありました。それは、(いつもながら前置きが長くてすみません。)ぽっかり浮かんだ月を見たときです。余りに神々しく光輝く中秋の名月だったからです。その月を見た時思わず車を停め、手を合わせ、しみじみ拝むと正にお月様の中でウサギさんが餅つきをしているように見えました。その瞬間、私が高校2年の4月に急逝した長姉の光子さんが、月を仰いで言った「月に人間が降り立ったりしたから、月が恥ずかしがって雲に覆われて見る事が出来ない。」の叙情豊かな表現をしたのを思い出しました。
ところで私は知らなかったのですが、この時期の満月が中秋の名月だと思っていたのですが、実は本日が満月との事。私の常識がいかにいい加減かが分かったのですが、本日は午後7時から和合の全体会に行く時に昨夜より大きな月を見れるのかと思うとワクワクしてます。

シルバーウィークは、朝6時には出勤し・・・

シルバーウィークは、朝6時には出勤し、入居者さんや利用者さん、そして職員に声かけしてフロアを毎日回る事が出来ましたが、カレンダー上の休みが終わったら途端に本日は千葉県で開催される関東ブロックカントリーミーティングの助言者及びシンポジストとしての役割を果たすべく、朝6時25分に家を出て岐阜羽島から新幹線に乗り、今は千葉に向かっています。
先週は5日間連続での酒席があり、2ヶ月に一回の血液検査が酒席が終了した翌日にあり…〓「血液は正直です。」しっかり、ガンマ何とかと言う数値と尿酸値がめちゃくちゃ悪くて、主治医の先生におもいっきり怒られました。本日は研修終了後に懇親会もありますが、上手にお付き合い出来るように気を付けて飲むように努力したいと思っていますが・・・・・・。

名古屋で会議があり、金山で列車を待っている時に不思議な事がありました。

19時20分にホームに着き列車の時刻を確認すると5分後に大垣行きがあり45分に米原行きがあることがわかり、米原行きまで待とうかなと考えて順番待ちの列に並ばなかったのですが、大垣行きがいつまでたっても来ないので不思議に思っていると、電子掲示板に米原行きの案内が出ている…。大垣行きはどうなったのかと思っていると、アナウンスが入り『大垣行きは30分の遅れであり、米原行きが先に到着しますだと…こらこら、それならそうと早くアナウンスせんか。大垣行きでなく米原行きに乗りたくて順番待ちしてなかったのだぞ。座れんかったら困るガヤガヤ…。ところが、米原行きが来てびっくり、だって、殆んど誰も乗ってないガラガラ状態だったので楽に席を確保出来たし。本日は昨日の研修の為に東京で泊まり新幹線を品川駅で待っていて感心しました。と言うのも列車が3分刻みに入ってきてしかも遅れる事なく…。せっかく、日本の列車は素晴らしいと思ったのに、30分も遅れるアナウンスが直ぐに出来んとはどうなったるの…。是は是として褒めるべきは褒め、駄目なものは駄目と言っていかねば…。

名古屋の地下鉄に乗って掲載物を見て思った事です。

吊るしてある掲示物が目に入りました。そこには、大きな文字で「ハイ」&『カラ」と書いてありハイの下に小さくボールとありカラの下にアゲと書いてありウィスキーの宣伝だったのですが、今どきハイカラと書いてあってピンと来るのは62歳になった私の年齢以上の方ではないのかと思うと現在酒の宣伝でターゲットとなっているのは60代以上なのかと…。しかし、ハイボールと唐揚げとのセットとは上手いこと考えるものですねと感心しきり…。だって、唐揚げは酒飲みの定番だし。

今週は当法人の敬老週間のイベントが続き・・・

今週は当法人の敬老週間のイベントが続きその間隙をついて出張があり、理事長として体力の限界に挑みます。

13日の日曜日から始まった当法人の敬老週間が始まり、初日は午前中に介護者教室ど午後は千巻経と言う格式のあるものからスタートしました。介護者教室では認知症をテーマにした企画がされ、前半は当法人の坪井認知症特任部長から当施設の取り組みの紹介をして、後半は岐阜経済大学の佐藤教授による講演を行いました。冒頭理事長としての挨拶の中で「継続は力なりと言っていながら今回久方ぶりの開催の為とピーアール不足のためか、参加人数が少なかった事については反省し次回までに体制を取りより良い提案を実施しますので今後とも宜しくお願いいたします。」と話ししました。参加して頂いた方々は大変良かったと異口同音に言って頂けたので、挨拶通りの展開をしていきたいと思っています。そして午後の企画であった千巻経には滋賀信行会の内藤会長さんを初め青年会の方々や中学生やお馴染みの幹部の方など総勢33名の参加を得て、尚且つ当施設の入居者、利用者で般若心経をしっかり唱えれる方などが一生懸命に唱えて下さったのでおそらく、五千巻は唱えて頂けたと思うので、間違いなく施設は浄化され、今後に幸せが訪れると確信しました。
二日目は関西落語の真打ちの笑福亭伯枝師匠の落語会があり、三日目四日目はバラ湯と薬草風呂を楽しんで頂いている時に愛知県名古屋市及び岐阜県の合同交流会があり名古屋の駅前で泊まり、今は東京で開催される自立支援研修会参加の為に新幹線の中にいます。明日は大垣の老舗寿司屋の寿司吉さんの握り職人さん全員の協力によるパフォーマンスがあるため東京から何とか間に合うように帰ってきて、ビールや冷酒を振る舞いたいと考えています、六日目はお馴染みになったクラウンアキオさんによる大道芸を楽しんで頂いて、(私は申し訳ありませんがその日は東京本部で役員会があり、クラウンアキオさんにはその日の夜にしか会えないのですが)最終日は映画鑑賞会でゆっくりして頂きたいと考えています。盛りだくさんの企画が出来るのも、楽しみにされる入居者利用者の方々がみえ、それを支えるスタッフがいてくれるから出来る事。これからもニーズに合わせた企画を実施して『今日一日楽しかった。』を日々心掛けたいと考えていますので変わらぬご支援をお願い致します。

人生の道半ば(人生夢の途中駅)

産まれて直ぐに(百日目)心臓が止まり暫くして(五分後)復活。止まった時の母親の嘆きは計り知れず、その後の人生病気と背中合わせ。毎年11月から2月までは霜焼けで両手両足ぼんぼんに腫れて、小学3年までは6歳上の姉に背負ってもらって学校へ。目に入れても痛くないと思っていた母親はその当時の校長先生に直談判して教室の座席をストーブの前の席にお願いすると同時に豆たんアンカに足が突っ込める袋を作り学校へ持って行く許可まで取り付ける…肝っ玉母さん。ストーブが入ってからはぬくぬくの毎日で、お陰で勉強はそぞろな毎日で。お陰でいわゆる「落ちこぼれ」。それでも「落ちこぼれ」のレッテル貼られなかったのは、教育者として名を馳せている父親と今須生まれでチャキチャキの母親がいたから…。その当時の母親の耳に息子が落ちこぼれだと言っていると聞いた瞬間、噂している家に怒鳴り込んだ事でしょう。小学1年当時の通知表なるものが見つかりました。算数が4で図画工作が1で、あとは2と3で…。担任の塚原先生が甘あまに
点けてこの成績…。今更ながらうーん「立派な成績」と言わざるを得ない。霜焼けの話をします。霜が降りる頃になると私の両手指から肘にかけてと両足指から膝にかけて、ボンボンに腫れて決して大袈裟ではなく手は軍手をしているようで、学校から帰ると目の中に入れても痛くないと思っている母親がゴボウの湯がき汁と水を用意して待っていて、熱い湯がき汁と冷たい水に手を入れて、手を出す度に母親が手を擦ってくれて、その頃の私は痛いことされて嫌やなくらいにしか思っていなかったと思うのですが、長男が結婚して、次男も結婚したいと言っている62歳の父親としては、痛いほど中1で他界した母親の気持ちがわかるような気がします。しかしながら、母親以上に(比較するものではありませんが…。)38歳の時に他界した父親は息子である私の行動にイライラしていたはずなのに、ずっと忍耐強く見守っていてくれた事に今更ながら感謝すると共に感動すら覚えています。と言うのも、昨日私の次男から携帯が入り、全く私に言わせると無計画な事をいい募るので、イライラ
しながら話をしている自分があり私の父親である進さんは、器の大きな人で、息子である私の事を心配しつつも信じていてくれた事に今更ながら気付きました。そう考えると、父親の法名は『至心院釈善進』。全く持ってぴったりだと思います。私も、いずれ法名をつけられる時が来て、立派な父親であったと言われて、地元の方々からも若山が頑張ってくれて良かったと言われるようにますます精進しますので、今後共にご支援ご声援宜しくお願いいたします。
*死んでからの事を心配するには、後20年はしゃかりき頑張らせて頂かなければ…〓

白内障の手術の為入院し、・・・

白内障の手術の為入院し、(目以外は元気なので)色々な事を考えて、また、多くの方々に携帯して相談にも乗っていただけ、退院後は今まで以上に頑張りたいと考えています。

〓病院の食事の味付けが大変良くて、最初の内はべた褒めしていたのですが、3日位して、はたと気が付きました。それは、食器がやけに熱くて、あんかけのような物ばかりだと…〓これはきっとチルド食が提供されているのだと。しかし、今まで私は手作りにこだわりチルド食を否定してきた考え方で凝り固まっていたのですが、今後は効率性と質の向上と言う、一見相反するテーマに施設経営者として取り組まなければいけないと考えさせられました。
〓私は6年の無納税者の苦難の末に関ヶ原の地に今の本部施設本館を建てた者として建物を大切に使って、いつまでも綺麗な建物でありたいとの思いは人一倍強いと自負していたのですが、今入院している病院の経営者のメンテナンスへの徹底ぶりを患者サイドからも驚かずにはいられません。(転んでもただでは起きない私の真骨頂…。でも、普通は自分で言わない…〓)〓前回も書きましたが、何と言っても「ありがとうございます。」の言葉が徹底している。患者からするとありがたいし、出来ることは自分でやろうと言う気持ちになるのではないでしょうか。但し、我が法人での経験からものを言わせて貰うと、『何故、その様にするのか。あるいは、その様に言うのか』を理解出来るまでいい続けていかないとどこかで、『やらされ仕事』になってしまうので、私自身の自戒を込めてコメントしました。
〓先程も述べた効率性と質の向上の命題をクリアするためへの布石を杉和会のトップとしてどう打っていくのか〓その為には私自身の意識改革こそ肝要だと、じっくり考える時間を頂き理解しました。1964年の東京オリンピックの女子バレーボールを金メダルに導いた大松監督の「俺についてこい」の考え方を私は今まで信じて実践してきましたが、それでは現代社会では通用しないことを…〓つまり、理念はしっかり持ちつつも、常に状況分析をしてより良い方向性を突き進んでいかなければいけないと
〓社会保障制度について、大きく舵取りを変えようとしている中で、今以上に情報を得て分析をきっちりとして、間違えない舵取りをしなければいけない。私としては、全国に12000事業所が加盟している全国老人福祉施設協議会の中で情報の共有化と国に対する働きかけを今以上に頑張っていきたいと考えています。今後共叱咤激励を宜しくお願いいたします。

何とはなしにテレビを見ていて不思議に思った事。

それは多分子供向け番組だったのですが…。縫いぐるみをかぶったのが幾つか出演していたのですが、その内の一つが、出演者の腰あたりしかないのが元気に手を振ったり跳び跳ねたりしているのです。私は不思議に思ったのですが、その理由を知っている方があれば教えて下さい。

病院もサービス業界として頑張っています。・・・

病院もサービス業界として頑張っています。介護業界もうかうかしておれません。
白内障の手術の為入院患者としてサービスを受ける立場になり、ある意味カルチャーショックです。何と言っても一人ひとりの職員さんが患者である私に何かをさせた時に必ず「ありがとうございます。」といわれる事〓手術の間中、執刀医の先生は一つひとつ声かけと説明をしつつ、不安を取り除く声かけをして下さった事〓そして何より驚いたのは、食事が美味しいのとストロー付の容器にお茶が来て尚且つお手拭きまで付いてくる。医療界がここまでしてもらえるならば、介護業界も負けてはいられない!!退院後には早速、良い点を真似ていかねばと考えています。何事も無駄なく吸収したい私にとって、息子の結婚式までの忙しかった分の休養も兼ねての入院でしたが今は、これからの改革を考えるとワクワクしてくるし、今更ながら無駄のない生き方だなとしみじみ思います。