2015年08月の記事一覧

本日長男の結婚式です

いつものように6時前に起き本部施設に来て、朝から雨が降っているので畑や花壇の水撒きをしなくてもいいので事務所での決裁等を始めようとしたのですが、いつものような集中力が出てこなくて落ち着かないので(やっぱり人の子の親・・・当たり前か)ここは居直って『人の子の親』としての思いをブログにします。
私自身も長男と同じ30歳で結婚しました。私の場合は父親が既に72歳と言う年齢でしたので私の父親にしてみると「小さい頃何ともならなかった虚弱児の息子が、結婚することになった」と言う事で感涙状態だった事を覚えています。そこで、昨夜の私の奥様かをりさんとの会話を紹介したいと思います。かをりさん「あなたは子どもが産まれても仕事優先で、毎晩11時過ぎの帰宅で、日曜日だけは朝早くからの仕事だったので7時頃に帰れるので子どもが『今日はお父さんとご飯が食べれる』と喜んでいたよ」との攻撃的とも取れる発言に旦那様である宏君は「まるで母子家庭のような家だったんだな」と答えると「お義母は大変な人だったし子育ても私だけで、唯一の理解者はお義父さんだけだったから大変でした。」と言われ、宏君は「そんな状態でもちゃんと結婚してくれる息子に育ててくれてありがとう。」『うーん、家の中では存在感なかったのか』今更思い知らされた。そんな父親だったけど私の奥様かをりさんは旦那様である宏君を良く支えてくれて若山家の繁栄の為に愚痴一つ言わないで頑張ってくれた。
本日結婚する長男の誠に贈る言葉は、私の実母である亡き母秋江さんの遺言である「蒔かん種は生えない。一杯いっぱい種を蒔け」をそのまま贈ると共に『どんな事にも挫けない度量を磨け』と『素晴らしいヒューマンネットワークを築け』です。また、本日、多くの方に祝福されて若山家の嫁になり私をお義父と呼ぶことになる志穂さんにも一言、「旦那様をしっかり支えて、自己犠牲も厭わずでいて欲しい。古い考え方かも知れませんが、良き見本が直ぐ側にいますので宜しく。」
なんか私的な事をブログにしてしまい申し訳ありませんが、直接に言えなかった事を活字にしてしまいました。

赤とんぼがたくさん飛んでます

8月2日に入居者・家族・地域・来賓・ボランティア・職員を含め700人を超える盛大な夏祭りが行われ、既に3週間を経過し、今年の夏は事のほか暑い日が多かったのですが、熱中症の症状になる方もなく、今朝6時過ぎに畑の水撒きに来てビックリ。と言うのも赤とんぼがいっぱい飛んでいたからです。そこで改めて思うのは日本の四季は明確に訪れると言うことです。
法人運営も大変な問題が山積していて、イライラする事も多いのですが、今日のテーマの事を考えていて、私が好きな地元の演歌歌手で砂田おさむさんの『風雪挽歌』の2番の歌詞を思い出しました。「弱音は吐くなと岩木山 根雪賭解(と)ければ 春も来る」・・・。厳しい冬を耐えれば春が来る事を信じて、これからも頑張っていきますので、今後共宜しくお願い致します。
なお8月25日に岐阜新聞の岐阜版『素描』の2ヶ月間、週一の連載の最終回です。岐阜新聞を購読されている方は是非読んでみて下さい。

ばたばたしていて緊張した出来事なのにブログに紹介出来なかった事を書きます

緊張した出来事は8月11日12時23分に携帯が鳴り画面を見た時から始まりました。登録がしてない番号で、その声は野太いく、やばい人からかなとますます緊張していると、「参議員議員の末松です。」との事。今度は違う意味で緊張すると共に思わず『先生、どうして私の携帯番号が分かったのですか』と思わずお伺いすると、『全国老施協の天野局長に教えて貰いました。』(「こら天野!末松先生に携帯番号を教えたなら教えたと連絡してこんかい!」)次に末松先生が言われた言葉にまたまたビックリと緊張。『今日まで東京なのですが明日は時間が取れそうなので和合の施設を2時間ほど見学させて貰えませんか。勿論、理事長はお忙しいと思いますので、職員を1人付けて頂ければ結構です。それから、家内も神戸から来て合流しますので、和合の施設へはどのように行けば良いですか』との事だったので『名古屋で合流して頂いて在来線で大垣に出てタクシーで来て下さい。』と返事して携帯を切った後、緊張を解す為に深呼吸をして問題整理をして、これは私らしくない対応だったと考え、末松先生にこちらから連絡。『先程、在来線で大垣へと言いましたが、岐阜羽島で奥様と合流して頂ければお迎えに参ります。』と話して了解を得たので『何時のお迎えになりますか』とお聞きすると、『時間については、家内から連絡が行くと思いますので。』との事。暫くすると奥様から電話があり『岐阜羽島までお迎えに行きます。』と話しするとご遠慮されたので(さすがです)『末松先生には了解して貰いましたので』と話しをすると『それではお願いします。時間については直ぐに調べて連絡します。』で結局、10時30分のお迎えになる。
翌日、奥様が先に神戸から着かれ、10時29分に末松先生も着かれ、無事に車に乗って頂き、緊張しながらも運転して、優・悠・邑 和合の先ずは理事長室でご挨拶と共に介護のことで話しが盛り上がり、施設見学に行く時間がどんどん遅くなり・・・。施設のお昼ご飯を食べて貰う時間が遅くなり、とにかく1時前に優・悠・邑 和合を出て、予定にはなかった関ヶ原の本部施設の見学もして頂く事になり、今度は本部施設の職員に緊張が走り・・・。
取りあえず米原3時51分の新幹線ギリギリまで施設見学と意見交換で盛り上がり、最後は列車に間に合わないといけないと最後まで緊張。2時間のご予定を5時間以上の企画にしてしまったのは大変申し訳なかったのですが、私的には緊張の中ではありましたが末松参議員議員ご夫婦と有意義な時間が持て、結果的には良かったなと言う今回はかなり訳の分からない話でした。でも、末松参議員議員ご夫婦を東京と神戸から呼び寄せたご縁は、中村会長のご生母の通夜の席で名刺交換をさせて頂き、翌日に当法人のパンフレット等と共に「一度来ていただければ幸いです。」とのアクションに応えて下さった訳で、このようにエネルギッシュな先生とは永くお付き合いしたいと考えていますので、ホームページ上で申し訳ありませんが、『今後共末永く宜しくお願いします。