2015年06月の記事一覧

たまには格式ある内容にしてみました

自民党の谷垣幹事長が昨日(6月28日)NHKの番組で『文化芸術懇話会』での報道機関への圧力発言に対して「与党政治家は言いたいことを言いつのればいいという責任の浅いものではない。物事が進み、世の中がそれなりに治まる状況をつくることこそ与党政治家だ。」との発言に、私自身杉和会のトップとして身が引き締まる思いでした。そして改めて、元気だった頃の中村会長が何度も何度も噛んで含んだように「5年後10年後をにらんだ発信を責任持ってしていくことが大事だ。」と言われていたことを思いだしています。天国でもゆっくりはされていないと思いますが、次代を担う役員も頑張って良い提案を発信していきますので暖かい見守りを宜しくお願いします。

改めて、父親の凄さを知る事が出来ました。part㈼

昨日のブログで、父の凄さを書きましたが、父が不破郡郷土誌編集委員長をしていた昭和43年は私が中3で、母が他界したのが中1の時。この時期の父は父親として、時には母親や役も勤め、しかも、垂井小学校100周年事業のトップとしての役割もこなしつつ、編集委員長の大役をこなしていたのですから、今更ながら凄い父親だったと思います。いやいや、私も62歳になって息子の結婚の日取りも決まった今だからこそなのかも知れません。やっぱり、父親の存在は凄いと思いますし、決して追い抜ける存在ではないとつくづく思ったしだいです。

改めて、父親の凄さを知る事が出来ました

現在、史跡関ヶ原古戦場整備計画ワークショップの委員になったのを契機として関ヶ原の資料を、父親が大切にしていた書物が置いてある、物置で埃まみれになっているものを昨日見ていて、昭和36年11月3日発行の『ふわのあゆみ』と昭和43年5月30日をみつけました。その中には、興味深いものに関ヶ原の駅は1883年に既に存在していたとあり(ちなみに、新橋〜横浜に日本に始めて鉄道がしかれたのが1872年です。)びっくりしました。それよりも驚いたのは、昭和36年発行の最後のページに私の父親が『不破郡郷土誌編集委員会 常任委員』になっていたことです。その時、父親は50歳だったわけですから凄いと思いました。そしてもっと驚いたのは、この原稿をうちながら、改訂版の昭和43年の最後のページを見た時です。なんと『不破郡郷土誌編集委員長』としての父親が『編集を終わって』を書いている事に気がついたときです。こんなに凄かった父親だったのなら、もっと父親を大切にしておけばよかったと思っています。「孝行したい時に親はいず」・・・。天国のお父さん今、私も頑張っているのでお許し下さい。」

岐阜新聞小森記者に対するコラム

岐阜新聞の『素描』の原稿8回分が書けて、担当の小森記者にメールで送信が出来たので、本日はゆっくり出勤しようかと考えていたのですが、習慣とは凄いもので5時には目が覚め、ごろごろしているのはもったいないと思い施設で仕事をしようと自分の机につくと、ファックスやメールがいくつかあったので確認していると、その中に、昨日送付した小森記者からの返信のファックスがあり、目を通していてビックリ。昨日の昼過ぎに送信して直ぐに、送信の確認をした時に送信の確認は出来たとのやり取りをしましたが、ファックスの中でメールを開かれた時間は21時30分で印刷されたのが23時11分、施設へファックスが送信されてきた時間が23時48分・・・。いったい小森記者はいつ寝られているのか。新聞記者の方はよく『夜討ち、朝駆け』とは言われますが、驚き以外の何者でもない。うーん。新聞記者は超人的な生活をされて毎朝確実に新聞が届くようにされているので、これからは今まで以上にしっかり記事を読んでいかなければと思いました。

ブログが書けてないと、優・悠・邑和合の職員を通じて叱咤激励されました

午後7時から和合にて全体会がつきに一回開催され、その都度、理事長としての想いを会議の最後に述べさせてもらうので、昨日が正にその日。昨日も「初心を忘れず基本に忠実に頑張って下さい。」話をして、会が終了してからある職員が私の所に来て「僕の友達が理事長のブログが面白いので一週間に一度は画面を検索しているけど、載っていないので寂しいと言っといて、と言われた」と言われ、私こそ初心に返らなければいけない・・・。いやいや、少し弁解させて下さい。ここ二週間は朝5時には家を出て施設に行き、岐阜新聞の岐阜版の『素描』と言う欄に7月、8月の毎週火曜日に掲載される原稿を書いてて、朝食の為に8時前に帰り『まれ』を見ながら食べて、8時30分に施設に戻り、ばたばたの毎日何ですが。でも、今日は何故ブログが書けたかと言うと素描の原稿が昨日で8週分出来たタイミングだった事と叱咤激励された事が重なったからです。
ところで、和合の職員のお友達よ。職員に話してくれるのも良いですが、激励なり感想をホームページを通して頂けるともっと嬉しいのですが。なお、私のブログを楽しみにしている方が少なくとも1人はみえる事が分かったので、これからはもっと精力的に書きますので今後共宜しくお願いします。