2014年07月の記事一覧

夏祭りまでに後4日です

私は昨日今日と東京の本部事務所で社会福祉法人の課税阻止に向けた対応策の為に出向き、今は帰りの新幹線の車中なのですが、携帯に入力させているスケジュール表を見てビックリ〓何故なら夏祭り迄に後4日しかないからです。頭で理解していたつもりなのですが…。ここは、職員の頑張りを信じて、私は理事長・総合施設長の仕事を粛々とさせてもらい、夏祭り当日は開会式での挨拶とお客様のおもてなしに徹する事にしますか…。しかし、信じて見ているのは大変な事だとしみじみ思います。そう考えると、私の父親は凄かったな。小さいときは虚弱な私を見守り、高校生・大学生の頃は私のわがままを理解して、父親の意に反して教員を辞めた時も静かに見守り…。うーん、親父のような生き方が出来ない。度量の狭い私を天国でまだまヒヤヒヤしながら見守っている親父殿、何とかして下さい。

 

5時の目覚めで、ウォーキングを頑張りました。

東海北陸ブロック研修三重大会から施設へ帰り車で帰り、二日間留守をしたのでバタバタで打ち合わせをして、本日行われる優・悠・邑 和合で行われるお祭りの計画が上っすべりになっていないかの確認に行く。計画はしっかり出来ていたが、初めての試みなので何が起こるか分からないのでより余裕のある実施をお願いし、もう一度本部施設に戻り、打ち合わせをして家に帰り、ゆったりとお風呂に浸かり身体を癒し、夕食を済ませると、疲れがどっと出てきたのでベッドに横になると即熟睡〓〓〓。だからこその朝の早い目覚め。時間を有効に使うと言う事はこう言う事ですか。しかし、よーく考えて見るとガンガン仕事をして寝るだけですか。いやいや、充実した毎日と言う事なのだと思います。だって、病気や怪我をしたら、こんな事しておれませんし、感動的な日の出を見ることもできないのですから。

 

2014ー25=89。謎々のようなテーマですみません

答えの89は、西暦を昭和の年に計算し直した数字なのですが「ふーん、昭和も遠くなったな」と振り返ったわけでなく、実はラジオ体操が始まって90年だと放送されていて計算したもので。その折ラジオ体操に第三ラジオ体操なるものが存在し短い期間でなくなり、今復活する運動が展開されているとの事に対するコメントがしたくて…〓。あいからわず私の説明はコンパクトにならんな…〓。
第三ラジオ体操なるものを実際に見て、この存在が短い期間で終わった理由がわかったように思いました。その理由は明解です。動きが複雑で一般には難しかったからだと思いました。この事から施設の職員の指導にしても、単純明解なものが良いのではないかと考えました。でめ、単純明解な指導って滅茶苦茶難しい。うーん…〓。悩ましいですが、頑張って取り組むことにします。

 

中村全国老人福祉施設協議会元会長のお墓参りに徳島県まで行って来ました。

片道300キロメートルは秋田市800キロメートルに比べたら大した距離ではないのですが、EPA介護福祉士候補生のアミンが残念な事に二度の国家試験に合格しなかったのでインドネシアに帰国することになり関西国際空港まで送った次の日と言う事で帰りの運転はバテバテでしたが、思いきって中村全国老人福祉施設協議会元会長のお墓参りに徳島県まで行けたのは最高でした。事の成り行きは東京で行われた研修会で中村本部長と関さんにお会いし、命日迄にお墓参りに行けたらとお話しさせて頂いていたことを関さんがしっかり覚えていて下さり6月半ばにわざわざ連絡を下さり実現した次第。1時過ぎに行く事を事前に中村会長の秘書だった尾崎さんと確認していて、予想以上に早く着きそうだったので、四国八十八ケ所一番札所の霊山寺にお参りする事にして駐車場に車を入れて、お参りモードになったところで尾崎さんから電話を頂いて…。お参りだけは済ませ本部施設にナビ頼りで何とか着くと、玄関先には尾崎さんと枡田さんが待って頂いていて先ずは恐縮。その後、応接室に案内して頂くと中村理事長の他に本部長、関さん、枡田さん、田村さん、尾崎さん、森さんとそれぞれお忙しい方が来て頂き、その後、記念館に設置された中村会長の銅像や庭を見学させて頂き、その後田村さんの案内で元の記念館で生前の元気なお姿をビデオで見せて頂き、続いてお墓参りと本宅でのお仏壇でのお参りをさせて頂き、それぞれにお経を真剣にあげさせて頂き、不十分だった私の働きを詫びると共にこれからも全国老人福祉施設協議会を見守って頂く事をお願いして、高速のインターチェンジのわかりが良い所まで田村さんに誘導して頂きました。今回の体験で改めておもてなしの大切さを痛感しました。私も大概おもてなしには自負するものを持っていましたが、組織として出来ている事に中村会長の凄さを改めて知ることが出来ました。中村会長、これからも私を叱咤激励して見守っていて下さい。

朝、5時30分には晴れていてウォーキング日和でした。

秋田市への運転約1600キロメートルの疲れを癒す事なく東京への出張等をこなし、昨夜は9時過ぎにはバテバテの状態で「今日こそ早くから寝るぞ」と考えて、お風呂も夕食も済ませたところ、メールが入り10時過ぎに大切な電話が入る事になり、頑張って起きていると10時過ぎに律儀に電話が入り、その内容が今後の展開を素晴らしいものにするものだったので、その後、その内容を報告しておくべきだと考えて電話をかけたりしている内に11時を過ぎてしまいましたが、朝の目覚めは5時。私は歳をとったから早く目覚めるようになったのか?昨日は雨が降っていたので中止したウォーキングでしたが、外を見ると目映いばかり…!勇気を持ってウォーキングの準備をして玄関前で東の空を見ると太陽が神々しく輝いているので思わず合掌!。いつものコースをウォーキングしていて、前回とは違う感じをいっぱい持ちました。まずは、紫陽花が雨が降って元気になり色も鮮やかになった事。川の水が増えた事。川のせせらぎの音が元気になった事。草に雨が含んでいたのでウォーキングシューズが濡れて汚れた事等々。あんなに綺麗に輝いていた太陽が今は雨雲の中に隠れて雨が降っていて、私がウォーキングするために輝いていてくれたのかと思うと、これからも叱咤激励でウォーキング頑張って行かねばと思っています。気付きも多く体調も良くなるウォーキングは辞められません。でも、ブログのようにウォーキングも頑張りますので励ましの返信がいただければ…。

 

秋田市まで秋田杉を見に行って来ました。

秋田市は遠かった。実に走行距離は、何と1550キロメートルを越えました。片道およそ10時間を行きも帰りも一人で運転しました。自分としても1日10時間を2日連続運転するとは思いませんでしたが、出来ました。そして、昨夜は9時過ぎの帰宅となりましたが朝5時には目覚めて5時30からウォーキングを貫徹。自分を誉めたい気持ちです。何故秋田市まで車で出掛けたかと言えば、岐阜経済大学の佐藤先生が本来秋田市出身で引退後に故郷である秋田市で思いのこもったログハウスを建てる夢を持って見えたのですが事情により秋田市では家を建てない事になり立派な材料が朽ちてしまうのは残念だとのお話しを頂き、急遽秋田市まで杉の材料を見に行ったしだいです。片道およそ10時間も運転してると色んな事があります。例えば、秋田市にある温泉宿で食事を頂きながら(勿論美味しい地酒も飲みながら)「海辺を走ることが少なかった。」等と言っていたのが天に聞こえたのか帰りの道で高速に入り損ねて道を間違え海岸沿いの細いグネグネの狭いトンネルを幾つも通らないと進めない道を1時間以上走る羽目になったり、高速道路の追い越し車線を走っていたら道路の中央分離帯を歩いている人がいてビックリ〓そのあと5分後には対向車線をモウスピードで三台のパトカーが走り抜けて行ったり。色々な意味でアクションを起こすといつもと違う何かが起きます。今、メールを打っていて携帯がなり昨日のお礼ですと佐藤先生から電話を貰う。流石に一流の方は違うな!!ログハウスは絶対に完成させて地域の方や学生や職員の憩いと交流と研修の場にするぞと強い思いになってます〓今後の展開を期待していて下さい。