2011年11月の記事一覧

介護職員等によるたんの吸引等の実施のための研修事業が始まりました

岐阜県下から第一期生103名の研修生が岐阜経済大学で11月28日から研修が始まりました。計画をして案内をする段階では80名を予定されていたのですが申し込みが多かった為、演習の日程を1日増やして実施する事になりました。本日3日目!疲れが出てくる頃ですが一人の遅刻者もなく、居眠りされる方もなくメモをとりながら真剣に聞かれています。なんたって座学だけで50時間とプラス演習を1日。しかも、その後試験があり、合格点は90点。その後、それぞれの事業所に帰って、指導看護師から実地研修で合格評価を頂いて始めて岐阜県から資格証が頂ける流れ。大変な研修ですが責任ある業務を出来るようになるためだからやむを得ないのですが、受講生が全員岐阜県から資格が貰える事を祈りながら研修会を見守りたいと思います。

「思い・おもい・オモイ」 パート1

不定期に私の思いや生き様を思いつくままに書いていきますので、リピーターの皆さん、リピーターでない皆さんも、私の生き様コーナーにもお付き合い下さい。

お蔭様で優・悠・邑を開設し14年目を数え幹部会、副リーダー会、全体会が月1回必ず開催出来るようになり起案等も多く出るようになってきた今、このブログの中で今一度初心に返り「思い・おもい・オモイ」を確認することにします。
大学を卒業し父親の意向で教員になったものの楽しく子ども達と遊ぶのは得意な先生だったと思いますが、当時の校長先生を始め多くの先生方にご迷惑ばかりかけていたので、自分の意志で退職しました。正直、自分の意志で何かを決断したのは、此の時が始めてだったように思います。(全く情けない話しですが)退職したことを父親に報告した時の何とも言えない顔をされたのは今でも脳裏に焼きついています。その時父親から絞り出すようにして言われた事は「今須は田舎なので、教員として勤めていたのにこの頃家にばかりいて、若山進先生(私の父親)の息子さん何か変だと言われたら困るので家を出た方がいいぞ」と言われ(今思うに、体の良い勘当だったのか?)ダムで沈んだ旧徳山村でその当時民宿をされていた増山たづ子さん(インスタントカメラで何10万枚もの写真を撮って写真集を何冊も出された徳山村の当時の語り部)の家に民宿のお客さんがある時には私が料理を担当することで居候を決め込み半年飲めや歌えの生活をさせてもらい、8月末に児童養護施設の指導員として声を掛けて頂き、9月から勤める事になりました。紹介者があり折角のお誘いでしたが、福祉の「ふ」の字も知らない自分でしたので、翌年の3月で辞めるつもりをしていたのですが、福祉の水があった為(児童養護施設の子ども達に育てて貰ったことにより)12年間がむしゃらに子どもと向き合い、2年目からは高校全入の為マンツーマン特訓に明け暮れた12年間については次回不定期コーナーで書く事にします。

ボランティアの方に教えて頂きました

昨日(11月14日)に毎月第二月曜日に来ていただいている「なでしこ会」(「なでしこ会」と言いながら小倉っちKと名乗る男性の方も見えますが)あるいは「鈴加桂子プロダクション」のボランティアの方に色々なことを学ばせて頂いたので職員への発信の意味も込めてこのブログに書かせて頂きます。
まず最初に驚かされたのは、車から降りられる姿の中に、遠目からは京都のホンマもんの芸者さん?玄関先でお迎えした時もホンマもんの芸者さん?だって髪結いがかつらと違う!思わず玄関先でインタビュー「どちらからお見えになったのですか」「はい、京都の祇園からドスエ」(一本取られた)「この髪はかつらにしてもぴったりですね」「かつらと違います。地毛ドスエ。髪結いの出来る方は大垣では一人だけでその方が出来なくなったら私は芸者になれません。」ボランティアに来て入居者さんを楽しませる為にここまで。(感動!)
開演されての感動はヒートアップ!小道具に火鉢やござ、人力車、渡世人の衣装、花嫁衣裳・・・・・。
もう一つ、驚いたと言うより教えて頂いた事。それは手作りの名札を見る側の分も用意していただいた事。会の代表のなんちゃって美幸さんにその理由を聞くと答えは明快!「名前でお呼びして握手すると喜んで貰えるから」
いつも、相手の身になってと言っている私自身が面食らいました。来月の企画に今からワクワクしています。末永く宜しくお願いします。