不定期に私の思いや生き様を思いつくままに書いていきますので、リピーターの皆さん、リピーターでない皆さんも、私の生き様コーナーにもお付き合い下さい。
お蔭様で優・悠・邑を開設し14年目を数え幹部会、副リーダー会、全体会が月1回必ず開催出来るようになり起案等も多く出るようになってきた今、このブログの中で今一度初心に返り「思い・おもい・オモイ」を確認することにします。
大学を卒業し父親の意向で教員になったものの楽しく子ども達と遊ぶのは得意な先生だったと思いますが、当時の校長先生を始め多くの先生方にご迷惑ばかりかけていたので、自分の意志で退職しました。正直、自分の意志で何かを決断したのは、此の時が始めてだったように思います。(全く情けない話しですが)退職したことを父親に報告した時の何とも言えない顔をされたのは今でも脳裏に焼きついています。その時父親から絞り出すようにして言われた事は「今須は田舎なので、教員として勤めていたのにこの頃家にばかりいて、若山進先生(私の父親)の息子さん何か変だと言われたら困るので家を出た方がいいぞ」と言われ(今思うに、体の良い勘当だったのか?)ダムで沈んだ旧徳山村でその当時民宿をされていた増山たづ子さん(インスタントカメラで何10万枚もの写真を撮って写真集を何冊も出された徳山村の当時の語り部)の家に民宿のお客さんがある時には私が料理を担当することで居候を決め込み半年飲めや歌えの生活をさせてもらい、8月末に児童養護施設の指導員として声を掛けて頂き、9月から勤める事になりました。紹介者があり折角のお誘いでしたが、福祉の「ふ」の字も知らない自分でしたので、翌年の3月で辞めるつもりをしていたのですが、福祉の水があった為(児童養護施設の子ども達に育てて貰ったことにより)12年間がむしゃらに子どもと向き合い、2年目からは高校全入の為マンツーマン特訓に明け暮れた12年間については次回不定期コーナーで書く事にします。