2011年(平成23年)の本日14時46分に、東北地方太平洋沖で宮城県牡鹿半島の東南東沖約130キロ、深さ約24キロでモーメントマグニチュード9.0、南北約500キロ、東西約200キロが揺れた観測史上最大の地震が発生して、津波及び火災によって関連死を含めて22.325人と言う甚大な被害が起きた日です。
改めて14年前に起きた衝撃的な出来事を思い出しています。
地震が起きた当日は岐阜市にあるホテルで人材についての会議が開催されていました。
その当時の中部学院大学学長だった古田先生が座長を務められていたのですが、岐阜市内も結構に揺れて、立派なシャンデリアがユサユサ揺れ、揺れが収まった段階で機敏にスマホで情報を入れた方から「東北地方で大きな地震があったようです」と教えて下さる方があり、会場が落ち着いた段階で会議の再会の時に古田学長が「一瞬、私の頭が変になったのかと思いました。」と言われたのが印象深くて記憶に残っています。
会議が終了した時にメールの着信が入っていたので、確認すると本部施設からで『結構揺れましたが、入居者さんに影響は無く、機械設備も全て正常です。』との報告に安堵したものです。
家に帰ってテレビを点けると映画を見ているような状況が映り出されて「こんな現実が東北地方で起きているのか」と思うと同時に「被害が無かった我々に出来ることは精一杯していかなければいけないし、備えを充分にしていかなければいけない」とも思いました。
その後当法人の職員を厳しい状況の施設に派遣したり(2か月連続で行った職員もいます。)私も現地の状況を確認に行って長期に滞在している職員の激励をしたりしました。
備えも大切だと言う事でリスクマネージメントが専門の烏野先生(びわこ学院大学教授)のアドバイスを受けて『災害備蓄倉庫』の設置も行いました。
今14時46分と言う事で町報の無線を通じてサイレンが鳴り1分間の黙祷をさせて頂きました。
地域の中での連携が叫ばれていますが(政府においては『自助』『共助』の大切さを広報していますが)『青年会』とか『自衛消防隊』の様な物が希薄になっている今、社会福祉法人として地域の中で出来る事を今まで以上に考えて展開していきたいと東日本大震災の記念日に思った次第です。