理事長コラム

お参りの梯子をしました

令和2年8月22日

昼食を済ませて13時30分からのお参りでデイサービス、新館2階、新館1階の3カ所を導師としてお経をあげさせて頂いたのですが、それぞれのフロアでお腹から声を出させて頂きました。(ちなみに、明日も本館1階、2階とさせて頂く予定です。)1回あたり約30分のお経を3か所と言う事で90分=1時間30分の間、腹から声を出しているのですが、お陰様で一向に声は枯れずに出せるのです。これは、私が38歳で児童養護施設を辞して本館施設が事業開始するまでの6年間のフリーの時代に非常勤講師として多い時には週に13コマ(1コマ90分)の講義をしていて、毎週月曜日には、午前2コマ、午後2コマ、夜間2コマの6コマをこなしていて、しかも150人までの教室では「マイクを持っていると歌を歌いたくなるから」とマイク無しで教室中に響き渡る声で講義をしていたので今も声が丈夫なのだと思います・・・。

しかも新館では私が行く前からカラオケのセットがしてあり、本日新館の責任者の武藤係長心得がカラオケで歌う曲を事前に教えて欲しいと言われたので、言われた瞬間に思いついたのは一昨日の20日に静慈圓先生を囲む会の席で大垣市議会議長さんから「理事長さんがコラムで兄弟船を歌ったと書いてありましたが、私も兄弟船は十八番なので一度機会があれば勝負したい。」と言われていたのを思い出し、「歌に磨きをかけるのはみんなの前で歌う事が一番」と考えて「兄弟船を両方のフロアで歌います。」と言っていたので、新館では1階、2階の両フロアで気持ちよく歌えました。気持ちよく歌えるのは入居者さんが聞き上手だからなのですが、歌いやすい環境があるから声も伸びるし声量も上がると言うもの。小さい頃の私は歌など上手く歌える子で無かったと言うと多くの方から「どうして今は上手に歌えるのですか」と聞かれた時に言うのは「高校生になり選択科目で『美術』『書道』『音楽』の中から選ばなくてはいけなくて(3年間ありました)美術も習字も全く苦手で「音楽なら作品を作る事も無いので適当にしてれば良いな。」位の軽い気持ちで選びました。

ところがその当時の音楽の先生は権先生と言ってバリバリのバリトン歌手で「声は額辺りから出すのです。」と言われる方で最初の内は結構苦労しましたが、その当時に習っていて思い切り声を出して歌う事が出来るようになった『サンタルーチェ』は今も気分が乗るとお風呂で歌ってます。そして人前で歌う事に自信を持ったのは坂内村立坂内小中併設校での村をあげての忘年会で校長先生から「若山君は若いのだから一番に歌いなさい」と業務命令のように言われて『エイヤー』で『長崎は今日も雨だった』を歌ったら拍手喝采で、その時から「私は結構歌が上手いんだ」と自信が付いたので(大いなる勘違いだったかも知れませんが)その後は機会有る毎に歌っていて、今では「私が今の事業が出来たのは話が出来て歌が歌えてお酒が飲めて人のつながりを大切にしてきたから。」と言う様になったわけです。

このコラムを通じて大垣市議会議長に言います。(多分このコラムを見て頂いていると思うので)私の兄弟船は半端な上手さではないので練習しておいて下さい・・・。リピーターの皆さん公私混同有の私のコラムですのでお許し下さい。明日はばっちり決めますので。