令和6年7月22日
我が家での仏間でのお参りを終えて5時45分に家を出て幸福地蔵様、妙応寺本堂、今須稲荷とお参りをしてお墓の方に行き六地蔵さん等々で水を手向けて若山家のお墓に行き花立と湯呑に水を入れてお墓の中心に水をかけていると「ふと」頭に浮かんだ事を書きます。それは母秋江さんに小さい頃3人姉弟なのに末っ子の私が母秋江さんの優しさを独占していたなと言う事でした。末っ子だし、虚弱体質だったし男の子は私だけだし・・・。
と言う事で甘えられる条件が整っていたのだと思います。そんな事を考えていて一番最初に頭に浮かんだのは、冬になると虚弱な私は両手両足の指は全部ボンボンに腫れて手は腕の所まで、足は膝下までが腫れてしまい、真っ赤に光った様な状態で痛風の方が「風が吹いても痛い」(私はお陰様で痛風は無いのですが)様な状態で、痛いばかりから治りかけの時には痛痒い状態でどちらにしても布団に入ってから母秋江さんに添い寝して貰っていると、余計に甘えた声で「痛い、痛い、いたい。」と言ってめちゃくちゃ甘えていたのを今でも鮮明に覚えています。
だからお墓に向かって「その節は大変心配をかけましたが今は元気です。」と語りかけていました。母秋江さんの私への愛情は文字通り『目の中に入れても痛くない』と言う表現がぴったりだと思います。でも、そんな甘え方が出来たからこそ「困った人がいるとほっておけない自分」になったのではないかと思います。そういう意味では今の私のしている事は正に『天職』なのかも知れません。つまり、『相手を思いやる心を持ってさせて頂く』と言う事。私はこれが『介護の真髄』だと信じています。だからこれからの頑張っていきますのでリピーターの皆さん、よろしくお願いいたします。